皇居東御苑
2015年6月21日
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東京駅 |
ドームの天井 |
お城めぐりの一環で、江戸城跡を見に、皇居東御苑に行った。
東京駅で降りて、大手門に向かう。東京駅はきれいに改装されていた。
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東京駅構内 |
和田倉橋 |
東京駅の地下街で弁当を買う。
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和田倉橋 |
噴水の綺麗な和田倉噴水公園 |
和田倉噴水公園は、 国民公園皇居外苑地区の一角和田倉地区にある公園
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桜田巽櫓 |
大手門 |
皇居東御苑は,旧江戸城の本丸・二の丸・三の丸の一部を宮殿の造営にあわせて皇居附属庭園として整備されたもので,
昭和43年(1968)から公開されている。西丸が現在の皇居で、北の丸公園がかっての北の丸にあたる。
家康にとって、江戸は、秀吉の命により実質的な左遷で入った不毛の地である。当時の江戸は荒地である。
家康が本格的な築城を開始したのは江戸幕府開府後の1603年。2代秀忠、3代家光の代まで継続し1638年に完成。
大手門は 高麗門と櫓門で構成された桝形門になっている。
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旧大手門渡櫓の鯱 |
同心番所 |
江戸城大手門の渡櫓 (わたりやぐら) の屋根で、その昔睨みをきかせていたのが鯱 (しゃち) 。
江戸中を焼き尽くした明暦の大火 (1657年) で最初のものが焼失してしまったため、その後すぐに作られた
のがご覧の鯱なのだとか。尚、現在ある渡櫓と鯱は、さきの大戦による戦災の後に復元されたもの。
同心番所には大手三の門を警固する与力・同心がつめていた。同心とは、江戸幕府の諸奉行・所司代・城代・大番頭などの
配下に属し、与力の下にあって、庶務・警備の仕事をしていた下級役人を総称したもの。
同心番所の屋根瓦の一番高いところには、徳川家の葵御紋の妻瓦があり、軒先は普通の三巴紋の瓦となっている。
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百人番所 |
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百人番所は、江戸城本丸御殿に入る最後の検問所として同心100人が警護していた
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石垣の石 |
大番所 |
江戸城に壮大な石垣が存在するのは、「天下普請」で築かれたからである。
天下普請とは、幕命により全国の諸大名が請け負う事業のこと。費用も資材も人員もすべて自己負担。
大名にとっては、経済的に大打撃になるが、ここぞとばかりにアピールするために、こぞって資金と人員を投じている。
大番所は他の番所より格上で 位の高い与力や同心が警護にあたっていたところ。
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展望台より 江戸城と二の丸と丸の内のビル群 |
本丸休憩所で早お昼を食べる。食べた後に、展望台に登り、外の景色を眺める。ビルが立ち並び、遠くの景色は見えなかった。
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あじさいが咲く中を歩く |
石室 |
石室は、火災や地震などの非常時に備えて、調度品などを納めていたと言われる。
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天守台 |
天守台を登る |
家光の建てた天守閣は 江戸幕府の権威を象徴する国内最大の規模を誇るもので 外観5層 地上からの高さ58mであった。
残念ながら 1657年 明暦の大火(振り袖火事)の飛び火で全焼し その後 現在に至るまで再建されていない。。
再建されなかった理由は 幕府の重臣で四代将軍家綱の叔父にあたる保科正之が「戦国の世の象徴ともいえる天守閣はもはや時代遅れ、
物見のためだけにしか用をなさず、むしろそれよりも江戸城に蓄えられた金銀は城下の復興に優先して使うべき」と提言したからとされる。
保科正之という人は 二代将軍秀忠が大奥の女中(静)に生ませた子で 三代将軍家光の異母弟である。家光の死後
遺命により正之は甥の4代将軍家綱を輔佐役として助けると共に 1643年に会津藩主となって「会津家訓十五箇条」を定め
第一条に「会津藩は将軍家を守護すべき存在であり、藩主が裏切るようなことがあれば家臣は従ってはならない」と記し、
この家訓を守った幕末の藩主・松平容保は最後まで薩長軍と戦い「会津白虎隊の悲劇」を生んでいる。
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天守台の石垣 |
天守台の上から眺めた本丸跡 |
本丸御殿は、表・中奥・大奥の三つからなっていた
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松の木 |
梅林坂 |
二の丸から本丸へと向かう坂は梅林坂。江戸城を築いた太田道灌の時代には、その名の通りに何百本もの梅が咲き乱れたそうである。
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ノカンゾウ(ユリ科) |
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二の丸庭園 |
二の丸庭園 |
二の丸庭園は、九代将軍徳川家重の時代に作製された図面を基に、昭和43年に造られた。
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ハナショウブ |
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湖水の色 |
二の丸庭園 |
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都道府県の木 |
平川門(不浄門)の渡櫓門。 |
都道府県の木は、全国47都道府県の木が植えられていた。
平川門は、奥女中の通用門として使われ城内の死人・罪人・糞尿もこの門から外へ出された。
罪人となった浅野内匠頭や絵島もこの門から出された。
太田道灌のころから作られていて、当時のまま残っているのはこの門 だけだそうである。
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お堀 |
平川門 |
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伏見櫓 |
千代田区 路上喫煙禁止 |
伏見櫓の名称は、豊臣秀吉が京都伏見に築いた伏見城の一部を使用したといわれている。
千代田区は路上喫煙禁止で、区の境目に白線が引かれていた。
平川門からでて、九段下の駅に向かい、帰宅する。