久能山東照宮 

2019年6月27日

   
エスパルスドリームプラザ   

エスパルスドリームプラザは、静岡県静岡市清水区にある大型の複合商業施設で、1999年にオープンした。

   
 昼は「大漁市場」で鮨を食べる。 ロープウエイで下りたところにある。 

久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神としておまつりする全国東照宮の創祀。
徳川家康公は生前、家臣に対し、自分の死後について「遺体は駿河国の久能山に葬り、
江戸の増上寺で葬儀を行い、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎて後、
下野の日光山に小堂を建てて勧請せよ、関八州の鎮守になろう」(『本光国師日記』より)
との遺言を残された。この御遺命により御遺骸を久能山に埋葬し、その地に
2代将軍秀忠公の命により久能山東照宮が創建された。

   
久能山山頂からの駿河湾 石垣イチゴのビニール  久能山説明パネル 

麓から登ると約1159段の階段があるが、今回は職員旅行で、観光会社の
セットの旅行なので、久能山には、日本平からロープウエイに乗っていく。
「日本平」から「久能山東照宮」に向かうための交通手段が、「日本平ロープウェイ」。
「久能山東照宮」のほうが標高が低いため、「日本平」から下って行く形になる。

   
 楼門(ろうもん) 東照大権現像 

久能山東照宮はもともと戦国時代には城であったためか、階段は急である。
当時は久能城と呼ばれており、徳川家康の強敵でもあった武田信玄が築いた城だった。
その後、武田氏が滅亡するとともに徳川家康が久能城を支配下におさめ、駿府に
大御所として隠居したのちも、久能山の城郭としての存在価値を高く評価し、
遺言によって自らを埋葬するように指示したのが久能山東照宮の始まりである。

   
 葵の御紋  日枝神社

日枝神社の祭神は、大山咋命(おおやまくいのみこと)

   
 本殿  

逆さ葵のせつめいを中学生の団体に説明をされていたが、すぐに見つからず、
時間もあまりないので、神廟の方に向かった。

   
神廟   

宮内の一番奥に、家康が埋葬された「神廟」がある。当初は小さなほこらだったが、
三代将軍・家光の命令により高さ5・5メートルの石塔が建てられた。
石塔は遺命に従い、西国ににらみをきかすため、西を向いている。
家康の御霊を久能山から日光に移した際、遺体も移したか否かは定か
ではない。ここで説明したガイドさんは、家康は久能山に眠っていて、
日光に移したのは神になった霊であるといわれる。
改葬を取り仕切った僧・天海が「あればある無ければなしと駿河なる 
くのなき神の宮うつしかな」という和歌を残していることもその証左だと
いう人もいる。「くのなき」は「躯(く)=むくろ=のなき」と読めるからだ

   
  絆の鍵 


ロープウェイ乗り場の隣には、恋人の聖地「絆のモニュメント」があった。

   
部屋の窓に書かれた景色  部屋からの眺め 

宿泊場所は「ホテルアンビア松風閣」である。部屋の窓からは海を
見下ろす形になり、すべての客室から駿河湾と富士山を一望できる。

   
焼津の街   

   
   「ホテルアンビア松風閣」

   
 焼津魚センター 丸東農園 

日本有数の茶産地として知られる牧之原台地。大井川の西岸に広がる
広大な茶畑の真ん中に『まるとう農園』の茶工場があり、見学をした。
風車は霜防止用。上から風で霜が付かないように回すとのこと

   
 お茶づくりの仕上げ  お茶蒸し器

   
 お茶乾燥機 お茶乾燥機 

お茶の詰め合わせが売られていたので、買ってみた。詰め合わせをした後、
さらに店の人がいっぱい詰め込んでくれた。