京都御苑 

2018年5月4日

   
堺町御門   

京都御苑は、江戸時代140以上の宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ町であった。
明治になって都が東京に移り、これら邸宅は取り除かれ、公園として整備され市民へ開放された。
戦後は国民公園として位置づけられ、御所と一体となった景観を維持しつつ、散策や
休養等の場として親しまれている。現在苑内には百年を越える樹林が育ち、旧公家屋敷跡や
庭園等歴史的遺構が点在し、古都の中心で特別な空間となっている。
ちなみに、「御所」というのは「天皇が住まわれる(た)場所」であり、築地塀内の
旧皇居のことを指している。14世紀から明治2年(1869年)までの間の「内裏(禁裏)」、
すなわち歴代天皇が居住し儀式・公務を執り行った場所である。
御所の外側、つまりそれ以外の公園部分を、「御苑」と呼んで区別しているようだ。
御所の所轄は宮内庁、御苑の所轄は環境省、京都迎賓館の所轄は内閣府に
それぞれあるらしい。離宮とは「御所や皇居とは別の所に建てられた宮殿」の事を言う。
堺町御門は、唯一の南門で、丸太町通りに面している。幕末頃には50mほど奥(北)に建っていた。
京都御苑の正門とされている。幕末の1863年8月18日、公武合体派の公家、会津・薩摩藩らは
三条実美(サネトミ)ら激派の公家7人と尊王攘夷派の中心である長州藩を京都から追放する政変を起こした。

   
拾翠亭(しゅうすいてい)  広々とした御苑内 

京都御苑は、約65ヘクタールにもおよぶ広大な敷地を有し、24時間いつでも入ることができる。
拾翠亭は今から約200年程前の江戸時代に、当時五摂家の一つであった九条家の屋敷内に設けられた別邸として建てられた

   
 凝華洞跡 宜秋門(ぎしゅうもん) 

宜秋門(ぎしゅうもん)は、公家門や唐門と呼ばれていた門で皇族や公家などの身分の高い人が用いる門で
現在は外側からの見学のみである。

   
大文字山がみえる。   出水の小川

   
 閑院宮邸跡(かんいんのみやていあと)  

閑院宮家は、江戸時代から始まった伏見宮、桂宮、有栖川宮家と並び四親王家の1つ。
御苑の中で唯一創建以来の場所で、当時の建物や庭園の面影を残している。
建物は、中庭をぐるりと囲む「ロの字」に配置されている。

   
舟肘木 蟇股(かえるまた)

 
 紅葉  中庭

   
閑院宮邸跡   塀越しに煉瓦造りの建物

閑院宮家は、宝栄7年(1710)、東山天皇の第8皇子であった直仁親王が創立なさった宮家。
その後、東山天皇の系譜が途絶え、伏見宮家の皇子が継承され、明治10年に東京に移住。
昭和63年に、宮家は後継者が途絶え、絶家となっている。

   
 豊栄の庭 稲荷神社 


仙洞御所
仙洞御所の前で、たくさんの人が並んでいた。仙洞御所の入場整理券をもらうためであった。
せっかくだから、並んでみようかと思って、並ぶ。結構時間がかかって、しかも入れるのは、
午後13時半からである。それまでは、昼を食べたり、御苑の中や閑院宮邸を見て回った。

   
御車寄(おくるまよせ)   

仙洞御所は、譲位した天皇の御所。仙洞とは本来仙人の住み処をいう。そこから
転じて退位した天皇の御所をいい、さらに転じて上皇・法皇の異称としても使われた。
御車寄は、大宮御所の玄関である。

   
御常御殿(おつねごてん)  北池 

御常御殿(おつねごてん)は現在でも天皇陛下や皇太子殿下が京都に来られた際に宿泊される。
窓はガラス張りでカーテンが付けられている。中は洋風に改築されたとのこと。

   
   

仙洞御所は北池・南池の2つの大きな池がある。
天皇陛下や皇太子殿下が舟に乗ったりするとのこと。

   
   北池に架かる「土橋」と「石橋」

   
  南池 

   
   南池にかかる八ツ橋

   
 州浜  

一升石と呼ばれる円形の石を11万個以上も敷き詰めて作られた州浜

   
   

   
 水戸家から献上された三脚雪見灯篭  醒花亭(せいかてい)

醒花亭(せいかてい)は唐の詩人・李白の詩である「夜来月下臥醒花影」からその名前がつけられており、茶室に詩が飾られている。

   
  又新亭(ゆうしんてい)の入口 


京都迎賓館

   
玄関入ってすぐに生け花  聚楽の間の安楽椅子と花籠 

京都迎賓館は赤坂迎賓館と同じように外国からの来賓をもてなすために2005年(平成17年)に建てられた。
最高のVIPを迎える建物は、数寄屋大工、左官、畳職人、表具師、蒔絵師ら、人間国宝を含む百人以上の
職人が携わった、伝統技能の集大成である。
安楽椅子は、肘をかけてゆったり座れる椅子

   
 「比叡夕映」 「愛宕夕照」 

夕映えの間は、大会議室になっている。 壁全体を使った大きな絵が特徴。これは、絵ではなく
タペストリーになっている。もともとヨーロッパで古くから引き継がれている織物技術である。
「比叡夕映」は、比叡山を月が照らす様を描いた。
「愛宕夕照」は、京都の西に連なる愛宕山(あたごやま)に夕日が沈む様を描いている。

   
奥に見えているのが廊橋(ろうきょう)  藤の間 

各部屋からは、中央に広がる庭園を見ることができる。
藤の間は京都迎賓館最大の部屋。洋食の晩餐会や歓迎式典の会場として使用されるとのこと。
正面の壁面装飾は、綴織り(つづれおり)の技法を用いて製作された織物、つまりタペストリーである。
大きさは、幅16.6m、高さは3.1mである。四季折々の日本の草花が39種類も描かれている。

   
 晩餐会に使われる食器類  

   
 和の晩餐室、桐の間  

桐の間のテーブルは一枚の木で出来た12mの漆塗りで作られている。漆を磨く仕上げには、
3人の職人が3日間かかりきりでした。最終日は摩擦熱で手にやけどのような症状も出るほどだったとのこと。
天井板には幅50cm長さ12mの吉野杉の一枚板継ぎ目無し中杢(なかもく) 無節が使用されている。
海外の客用に掘りごたつ風になっている。

   
   

廊橋の天井には、昆虫の透かし彫りが彫り込んであった。

   
   

   
  和舟 

和舟(わせん)は、ブータン国王御夫妻が舟遊びする際に乗られたそうである。