明治村 

2023年1月3日


   
初日の出( 元旦多摩川にて) 多摩川 

2023年の元旦は、多摩川まで行き、初日の出を見る。
そのあと、職場の元旦祭にも出る。

   
   

1月2日に愛知の実家に行き、半田亀崎のホテルに宿泊

   
 尾張三社 明治村の鉄道 

ルートインの裏手に尾張三社という神社があり、朝、お参りをする。
尾張三社は、代表する3つの神社、津島神社熱田神宮真清田神社を
祀っており、3つの神社それぞれの祭神を尾張三社の祭神としている
3日は犬山の明治村に行く。

   
帝国ホテル   スクラッチレンガとテラコッタタイルで仕上げ

帝国ホテルは20世紀建築界の巨匠として名高いフランク・ロイド・ライト(1867-1959)によって設計された。
左に見える手前の柱はオリジナル部材のすだれ煉瓦。当時の職人が
手作業で溝をつけた。右奥の柱は、これを模したスクラッチタイル

   
大谷石でできた「光の籠柱」   

床の高さや天井の高さに変化をつけながら、水平に、垂直に展開していく
空間演出や、各種の部材に施された多彩な造形美など、見どころはたくさん。

   
 「ピーコックチェア」と呼ばれる6角形の椅子 ライトデザインの食器を復刻 

   
   

「光の魔術師」との異名を持つライトがデザインし、愛知県常滑で焼かれた
レンガやテラコッタ、栃木県で産出される大谷(おおや)石で構成された
内部空間は、季節や天候、時間の変化に応じてさまざまな表情を見せる。

   
ポーツマス条約のテーブル   ポーツマス条約のテーブル 

明治38年(1905)、日露戦争を終結させるポーツマス条約が締結された
際に使用されていたテーブルを帝国ホテル2階で展示している。
このテーブルをはさんで、当時の外相・小村寿太郎とロシアの
セルゲイ・ウィッテが激しく意見を交わした。

   
  フランク・ロイド・ライト 

大正4年(1915)、帝国ホテルの支配人となった林愛作が渡米して
新館設計の依頼。翌年にはホテル設計のため来日し、大正8年(1919)、
日比谷公園に面した場所で、ライトの設計監理による新館の起工が始まる。
しかし建築途中だった大正11年(1922)、支配人の林愛作とともに、ライトは
設計監理から解任されてしまう。ライトの帰国後、弟子であった遠藤新が工事を続行し
、翌年8月に竣工。同9月1日、奇しくも関東大震災の日が新築披露となる。
東京一円はで大きな被害があったものの、奇跡的に、帝国ホテルの
震害は軽微なものだった。巨匠のライトが日本に遺した代表的作品であるといえる。

 
 
 オリジナル部材 帝国ホテル中央玄関 

栃木県宇都宮市で採れる大谷石が使われたオリジナル部材が野外展示されている。

   
大明寺聖パウロ教会堂  祭壇 

明治6年(1873)、キリスト教の禁教令が解かれたことから、数年後には
長崎各地や各島々に木造の小さな教会堂が建てられるようになった。
大明寺聖パウロ教会堂は、その中でも、早い例として知られるのがこの教会堂。
長崎湾の入口に位置する伊王島に建設されたカトリック教会堂の一つ。
フランス人宣教師ブレル神父の指導のもと、大浦天主堂建設に携わった
地元大工の大渡伊勢吉によって建設されました。正面の鐘楼と
入口土間は、昭和20年代に信者の浄財を元に増築されたものである。
農家のような質素な外観ながら、内部は三廊式のゴシック様式の教会。
和風の外観からは、キリスト教禁制の影響を色濃く残した時代背景を感じさせる。
内部には、身廊の正面に祭壇、右側廊の正面にルルドの洞窟、左側廊の突きあたりに聖具室を設置

   
 聖母マリアの像  


   
「告解室   聖ザビエル天主堂

大明寺聖パウロ教会堂の入口の右手には小さな部屋があり、
「告解室」といい、信者が司祭に罪を告白し、神の許しを乞う部屋

聖ザビエル天主堂は16世紀に来日したフランシスコ・ザビエルを
記念し、京都・河原町三条に建てられたカトリック教会堂。

   
   聖堂内部

内部を美しく彩るステンドグラスは、色ガラスに模様を描いたもの

   
 祭壇のステンドグラス  

祭壇の右から、聖ステファノ(最初の殉職者)、聖ペテロ(十二使徒の第一使徒)、
聖ヨセフ(聖母マリアの配偶者)、聖フランシスコ・ザビエル、大天使ミカエル、
洗礼者聖ヨハネ(キリストに洗礼を施した人)、アッシジの
聖フランチェスコ(フランシスコ会創設者)が配置されている。

   
   

十字架の道行き(じゅうじかのみちゆき)とは、カトリック教会で行われる儀式で、
中世末期から行われてきた。キリストに倣う一形態ともいえる。
イエス・キリストの受難の捕縛から受難を経て復活まで15の場面を、
個々の場所や出来事を心に留めて祈りを奉げる。
聖地巡礼ではそれぞれの場所で祈祷を行う。
カトリック教会の聖堂では壁に捕縛から埋葬まで14場面の聖画像が
掲げてある。最後の15番目の場面の復活は祭壇側に向かって祈る。
ただし、四旬節中は、14番目までの祈りが奉げられる。

   
   

 
  1. ピラトはイエスに死を宣告する。
  2. イエスは十字架を受け入れる。
  3. イエスは初めて倒れる。
  4. イエスは聖母マリアに会う。
  5. キレネのシモンは十字架を担うのを助ける。
  6. ヴェロニカはイエスの顔を拭く。
  7. イエスは再び倒れる。
  8. イエスはエルサレムの婦人たちと会う。
  9. イエスは三度倒れる。
  10. イエスは服をはぎ取られる。
  11. イエスは十字架に釘付けにされる。
  12. イエスは十字架上で死去される。
  13. イエスは十字架から降ろされる。
  14. イエスは墓に葬られる。


   
   

   
   

   
   バラ窓

   
 呉服座  

呉服座は、大阪府池田市西本町猪名川の川岸にあった芝居小屋。

   
 舞台 客席 

「花道」を通ったり、「枡席」に座るなど、当時の芝居小屋を体感できる。
枡席は歩み板を通って進み、最大で4人も座っていたとのこと。

   
中心軸   回り舞台の下

床下を通る舞台装置の奈落(ならく)は、舞台の袖から降りて、まわり舞台の下を
通り抜け、花道を伝って入口近くの楽屋の下まで達する。舞台道具を転換させる
仕掛けのまわり舞台は、円周に沿って取り付けられた車と中心軸とで支えられている。
舞台は回転する廻り舞台と呼ばれ、明治時代には人力で回していた。声も出せないし、
動かしたり止めたりするタイミングも難しく、非常に体力もいる仕事で、汗びっしょりになり、
奈落とは地獄を表しているみたいで、象徴的な言葉である。。

   
奈落から舞台袖につながる通路   

   
 新春書道パーフォーマンス 玲泉(書道家) 高嶋英輔(バイオリン) 

   
  ハイカラ衣装館入り口 

   
   歴代村長のパネル
歴代村長
第一代 徳川 夢声 氏 (漫談家) 昭和40(1965)年~昭和46(1971)年
第二代 森繁 久彌 氏 (俳優) 平成2(1990)年~平成16(2004)年
第三代 小沢 昭一 氏 (俳優) 平成16(2004)年~平成24(2012)年
第四代 阿川佐和子氏(作家)平成27年3月(開村50周年)~現在
   
明治神社   明治村

明治村は明治時代の建築をメインに、大正時代や昭和初期
まで名建築が移築・保存されている野外博物館である。
明治村の創設は、「取り壊しの運命にあった近代建築をなんとか救いたい」
という想いから始まる。帝国ホテルも、夏目漱石の家も、この施設がなければ
取り壊される運命だったとのこと。移築する際は、ひとつひとつていねいに
解体をし、部材には番号をつけて運び、立て直しをしている。

   
 博物館明治村  森鴎外・夏目漱石住宅についての説明

   
文豪夏目漱石の部屋   

明治の文豪である森鷗外と夏目漱石が、奇しくも相次いで借家した和風住宅。
明治20年(1887)頃、医学士中島襄吉の新居として建てられたものの、
空家のままだったこの家は、明治23年(1890)に森鷗外が借家し1年余りを過ごした。
明治36年(1903)から同39年までは夏目漱石が住み、漱石はここで『吾輩は猫である』を発表した。

   
 夏目漱石・森鴎外住宅入り口 聖ザビエル天主堂 

   
 金沢監獄正門  

金沢監獄の正門は、煉瓦造りに帯状に石の装飾が入っている。

   
   監獄内の食事 粗食である

   
  金沢監獄

金沢監獄は明治5年(1872)制定の「監獄則並図式」に沿って造られた監獄。
八角形の看守所を中心に5つの監房棟が放射状に並ぶ洋式の配置である。

   
宮津裁判所   法廷風景

地方裁判所の刑事法廷棟。裁判所全体は左右対称の厳格な
構えのH型で、その右翼部が明治村に移築されている。
人形のジオラマを用いて法廷風景を再現。高い壇上に裁判官と検事、
下の段に弁護士と被告人という、現在とは異なる位置関係が見てとれる。