日本民家園 

2017年5月4日


相方と一緒に生田緑地にある日本民家園を訪れた。車で行ったが、
駐車場が狭く、なかなか止められなくて、一時間近く待たされた。

日本民家園の紹介分は以下のようになっている。
「川崎市立日本民家園は、急速に消滅しつつある古民家を永く将来に残すことを目的に、
昭和42年に開園した古民家の野外博物館です。東日本の代表的な民家をはじめ、
水車小屋・船頭小屋・高倉・歌舞伎舞台など25件の建物をみることができます。
この25件全てが国・県・市の文化財指定を受けており、民家に関する民俗資料なども収蔵し、
日本を代表する古民家の野外博物館の一つとなっています。」

   
 民具制作技術保存会 はた織グループ 原家住宅 

   
  次の間と上段の間(奥) 

旧井岡家のこの建物は、奈良で油屋として使用されていたもの
この油屋はミセとシモミセの2つの売り場に分かれている。
シモミセとは、一般客用の売り場である。

   
 みせ 土間に置かれたかまど 

格子状の中がミセ。ミセは大口の取引をおこなうためのものだったようである。
ドマに置かれた竈。黒い漆喰が塗られている。

   
旧三澤家住宅の説明  旧三澤家住宅の改修工事 

   
旧三澤家住宅の改修工事  工事の流れ 

   
左から道祖神、庚申塚、馬頭観音   水車小屋

馬頭観音は、死んだ牛馬を供養するため、道端にたてられることが多い。

   
 水車小屋  水車小屋の中

   
六地蔵  左から地蔵菩薩と弘法大師

六地蔵は山梨県塩山市にあった。一つの石から六体の地蔵を掘り起こしている。これは甲信越の特徴といわれる。

   
   道祖神

道祖神は、村の入口や道の辻などにまつり、悪いものが入ってくるのを防ぐ境界の神様

   
山下家住宅  越中五箇山、江向家住宅 

山下家住宅の前で集合して、ボランティアガイドさんの説明を聞くことにした。
関東の村を中心に30分の説明だった。わかりやすくて、聞かないとなかなかわからないことが聞けた。
越中五箇山、合掌造りの住宅。豪雪にも耐えられる様、屋根の傾斜は急角度に作られている。18世紀初期。
「妻入」「正面に茅葺(かやぶき)の庇を付けた入母屋造風」「田の字型の四間取り」といった特徴を持っている。

   
 オエとデイ 江向家住宅の中 

囲炉裏の上には火棚を吊って、防火と煙の拡散と乾燥などの役割を負わせたようだ。
デイの梁を見ると、曲がった材木を苦もなく使いこなしていることがよく分かる。

   
合掌つくりの山下家住宅  山田家住宅 

山下家住宅は、飛騨白川郷にあった。合掌つくりになっている。屋根の形が合掌する形になっていることから
名づけられているとのこと。一階部分はそば処になっている。
山田家住宅の屋根は藁で段になっているのが特徴である。火薬の原料となる塩硝を作っていたらしい。
立派な仏壇が置いてあった。手前の小さな家作は、肥料小屋を兼ねた便所

   
 かかし  作田家住宅

作田家住宅は、千葉は九十九里の漁村にあった、17世紀後期の網元の家。
手前と奥の二棟が合体した様な造りになっていて、分棟型と呼ばれる。作田家は、
便所と風呂場が屋敷に付属していて、当時としては富裕な家だった事の証しと言われる。

   
 二棟が合体しているので、雨樋が作られている。 居間の梁。 

二棟合体式の家は境い目には大きな丸太を割って作った雨樋が設けられている。
居間の梁は松の曲材を巧みに組み合わせている。今の建築技術ではとても作れない。
下で組み合わせて、あげたのではないかといわれる。

   
作田家住宅前で催しをしていた。  沖永良部の高倉 

   
 ネズミの侵入を防ぐ  広瀬家住宅 

沖永良部の高倉 にはネズミの侵入を防ぐように毒になる樹液が出る木が柱になっており、上の方は鉄になっている。

広瀬家住宅も山梨県塩山市にあった。屋根は二面の傾斜面を持つ切妻つくりとなっている。
屋根の頂上はイワヒバを植えた「芝棟(しばむね)」になっている。
南側の軒が異常に低い。風の強い斜面にあったらしいが、腰をかがめるようにして入る。

   
広瀬家の居間   うまや

広瀬家の居間はムシロ敷きになっている。土の地面を固めた上に茅の束が敷き詰められ、その上にムシロを敷いている。

   
 太田家住宅 五榜の掲示の一枚 

太田家住宅には、建物は二棟が軒を接して建つ、分棟型の民家である。
大戸の上に掛けてあるのは、慶応4年に明治政府が出した「五榜の掲示」の一枚。
平成2年7月29日、生田緑地内で打ち上げられた花火が屋根に落下し、主屋のヘヤを
中心に焼損した。焼失してしまったものについては、新材でそれらしく見せている。

   
柱が火災の影響で黒い   

茨城県笠間市にあった太田家住宅も17世紀後期のこの民家で、二棟合体型の分棟式

   
 清宮家の屋根  

清宮家の屋根には、芝棟のイチハツが咲いていた。芝棟とは茅葺屋根の棟仕舞の一種。
茅葺屋根は軒から上に(棟)に向かって葺きあげているが、葺き終わり(屋根の一番上)に、芝土をのせて、
その重さで屋根を押さえると同時に棟からの雨漏りを防ぎます。芝土だけでは不十分と、
乾燥に強く根張りのよい植物を植えて、補強することもある。それが「芝棟」

   
船頭小屋   

船頭小屋は四隅の柱に丸太を通し担ぐための鉄の輪が取り付けられていた。

   
 菅原家住宅屋根の千木(せんぎ) 菅原家住宅 

山形県鶴岡市松沢にあったこの菅原家。建てられたのは18世紀末頃だそうだ。
こちらも特徴的な造りをしているが、これは「はっぽう造り」という。「はっぽう」は破風から来てるらしい。
菅原家の、屋根を割って突き出させたような部分が破風のようで、雪が多い時にはこの高窓から出入りしたそうだ。

   
蚕影山祠堂(こかげさんしどう)  船越の舞台 

蚕影山祠堂は、養蚕の豊作を祈り、その神様を祭るお堂

   
舞台の回転装置  本館券売所 


   
 左側に味の素スタジアム  国領のビルが高く立つ

奥門から出て、中央広場横のカフェで遅い昼食を食べ、枡形山に登る。展望台からは
景色がよく見え、ちょうど説明してくれる方がいらして、詳しく建物などの名前を教えてくれた。
雲取山の高さも2017mで、今年の年号と合うことを言われた。今年は雲取に登ろう。

   
 都心方向 武蔵小杉 

 
キャロットタワーや六本木ヒルズ 

奥のやや左寄りに渋谷方向、真ん中よりに赤く囲まれているキャロットタワーやその右横奥に丸っこい六本木ヒルズも見える。

   
地層  地質の解説版 

生田緑地公園の東口から枡形山にはいるとすぐに、枡形山の地質の解説板がある。
一番下の青いところ(上総層群飯室層)。約140万年前?約120万年前頃、海底にたまってできた地層。
            貝や海獣の化石が出ている。 
その上の黄色いところ(おし沼砂礫層)。約30万年前、間氷期で海面が高かったときにできた地層。
             小さくて、丸くて、平べったい石が多い。
その上の褐色のところ(関東ローム)。種々の時代のローム層と、ローム層に割り込んで
堆積している軽石などの層(ゴマシオ軽石層とか三色アイス軽石層)