ムンク展 

2018年12月29日

上野の東京美術館で、ムンク展が開催されていたので、観に行ってきた。

   
   

展覧会概要
世界で最もよく知られる名画の一つ《叫び》を描いた西洋近代絵画の巨匠、エドヴァルド・ムンク(1863−1944)。
画家の故郷、ノルウェーの首都にあるオスロ市立ムンク美術館が誇る世界最大のコレクションを中心に、
約60点の油彩画に版画などを加えた約100点により構成される大回顧展です。

   
   

   
 地獄の自画像 絶望 

病弱だった幼少期に親愛なる母と姉を亡くしている。さらに、画家を目指してパリに
留学をしていた26歳の時に父が他界。39歳の時に恋人トゥラ・ラルセンとの破局で銃の
暴発事件が起こり、左手中指の一部を失う。結婚を望むラルセンだったが、ムンクは孤独で
自由な創作中心の生活を捨てようとしなかった。その後は、欧州各地で個展を成功させている
一方で、アルコール依存症や神経衰弱にも悩まされていたそうである。

   
  生命のダンス 

   
 叫び 夏の夜、人魚 

叫び》にはバリエーションがある。ムンク自身が「《叫び》の一作目」としているのは1892年の《絶望》である。
前景に人物を配し、遠近法を大胆に用いた構図や燃えるような空の表現。これを原型として、
1893年にクレヨン画(オスロ市立ムンク美術館蔵)と、テンペラ・クレヨン画の《叫び》(オスロ国立美術館蔵)を制作。
1895年にパステル画ほかリトグラフが制作された。ムンクが「連作」を意識するようになったのは、
1889年にクリスチャニアでの初個展を終え、ベルリンほか欧州各地で展覧会を開催した時期のこと。
展示作業にかかわるうちに、個々の作品をまとめて一つの作品として見せる効果に気づく。
そこから建築の装飾帯「フリーズ」になぞらえた「生命のフリーズ」という構想が生まれ、
1点でも成立すると同時に、並べ替えるたびに異なる意味が生じる完成のないプロジェクトとなった
叫び》は、「不安」を象徴する作品としてたびたび登場する。血のように紅く染まる夕暮れの空、
耳を塞ぐ人物という同じモチーフを、素材や技法を変えながら繰り返し制作し、有機的に発展させていく。

   
生命のダンス   

   
星月夜   生命のダンス