2020年3月19日
白河駅前の観光案内所で、レンタサイクルを借りて、南湖公園まで足を延ばした。
南湖公園 石碑 | 南湖公園 |
寛政の改革で知られる名君・松平定信によって1801年に築造された。
湖を中心とした「南湖公園」は、日本最古といわれる「公園」。定信は、
身分の差を越え誰もが憩える「士民共楽」という理念を掲げ、塀がなく、
いつでも誰もが訪れることのできる地を造った。
「大沼」と呼ばれていた湿地帯に堤を作って水を貯め、庭園の
要素を取り入れて享和元年(1801)に築造した場所である。
南湖十七景 | 松平定信像 |
南湖の名は、中国唐時代の詩人李白が洞庭湖に詠んだ
詩「南湖秋水夜無煙」からと小峰城の南に位置することからと伝えられる。
「南湖十七景」として、湖畔に17の景勝地を詠んだ石碑がある。定信は南湖築造
のあと、大名庭園に作られる「名所」と同様に、南湖の周囲に十七の景勝地を選んだ。
翠楽園 | 翠楽園 |
翠楽園は、南湖公園の一角にある風雅な池泉回遊式日本庭園。
松平定信の庭園理念を受け継いだ日本文化の伝承を体現する施設
「翠楽苑」の名称は「南湖」の緑と、湖と水に通じる「翠」と楽翁公の
精神を受け継ぎ、日本の伝統文化の伝承と活動の拠点となるべき
施設であることから「楽」の一字を名称に入れ「翠楽苑」と名付けられた
翠楽園 | 秋水庵 |
南湖神社入口の松平定信像 | 南湖神社参道 |
南湖神社は、大正11年に建立、祭神は松平定信。
松平定信は、8代将軍徳川吉宗の孫で幕府老中となり、11代将軍
徳川家斉の補佐も兼ねて「寛政の改革」を行ったことで有名である。
南湖神社は、大正十一(1922)年、渋沢栄一翁の援助のもと建立された。
白河神社のご祭神の白河藩主・松平定信公は、身分に関係なく誰でも
楽しめる「公園」という空間を日本で一番最初につくられ、また白河の
男性と会津の女性を引き合わせ縁を取り持ったという逸話から、
実在した縁結びの神としてまつられている。
南湖神社 | 南湖公園 |
共楽亭 | 共楽亭の説明 |
定信は、「共楽亭」という茶室を建てて、庶民と楽しみを共にしたと
伝えられている。今回は、板張りがしてあって、中を観ることができなかった。
共楽亭 十七景詩歌碑 | 御影の島 十七景詩歌碑 |
景勝地には和漢二つの名称を付け(例えば「南湖(漢名)」「関の湖(和名)」)、
その景勝を詠んだ和歌と漢詩を親しい公家や諸国の大名・儒者に依頼し、
寄せられた和歌・漢詩を一石に刻んだ「南湖碑(南湖十七景詩歌碑)」を建立した。
二列に整列した杭があるが、これは「詰杭(つめぐい)」と
呼ばれるものであり、池の波が直接土手にぶつかるのを防いでいる。
棚倉藩鎮英魂碑 |
棚倉藩鎮英魂碑
この碑は、戊辰戦争 における棚倉藩 戦死者の霊を祀るため、
明治十七年(一八八四)に、旧棚倉藩の重臣・平田文左衛門らによって建立された。
「鎮英魂」の題字は旧棚倉藩主阿部家十八代当主正功によるもの。
大正三年(一九一四)には、旧藩士と有志らにより「白河鎮英魂保存会」が
組織され、現在も毎年秋の彼岸に慰霊察を行っている。
白河観光物産協会