奈良 

2013年9月16日

大阪でIFCOの国際大会が開かれていたので、2日間参加して、休暇を一日取って、奈良観光をした。

   
 大阪国際交流センター 会場の中 

IFCO(イフコ)とは、International Foster Care Organization(国際フォスターケア機構)の略である。

子ども中心の社会的養護と家庭養護の促進と援助を目的とした世界で唯一の国際的ネットワーク機構となっている。

1981年に結成されて、現在ではその会員は世界60カ国以上に広がっているといわれている。

IFCOの大阪国際大会が大阪国際交流センターで9月13日〜16日まで開かれる。

   
   

私は14日から15日の2日間、IFCOの大会に参加した後の15日の夜、奈良の知り合いの家に行って泊まる。

その日は、台風18号の影響で、夜は激しい雨が降って、特に京都の被害が大きかったようである。

知り合いに久しぶりに会って、積もる話をして、16日の午前中は、奈良まで案内をしてくれた。

台風が過ぎ去った後なので、晴れてはきたが、枝や木が川から流された後のように転がっていた。

、奈良では、東大寺から三月堂、二月堂を見学して、その後、興福寺に行った。

   
奈良公園から若草山を望む  鹿がたくさんいた。 


東大寺は、本尊、盧舎那仏坐像(奈良の大仏)を安置している。

正式には東大寺金堂というが、「大仏殿」の名で広く知られている。

   
重文 中門  華厳宗大本山 東大寺

中門は、享保元年(1716)に再建された、入母屋造り2階建ての楼門

   
東大寺南大門   東大寺大仏殿(1709年再建)

南大門の門の両脇に、高さ8.4mの大きな金剛力士像(国宝)が置かれているが

一般的な仁王像の配置とは異なり、左が阿形、右は吽形になっている

国宝 金堂(大仏殿)は、現在の建物は1691年(元禄4年)に完成、1709年(宝永6年)に落慶したもので、

正面の幅57.5m、奥行き50.5m、棟までの高さ49.1m。奥行きと高さは創建当時とほぼ同じだが、

幅は創建当時(約86m)の約3分の2になっている。日本最大の木造建造物で、

平重衡の南都焼討ち、松永久秀・三好三人衆の戦火で2度焼失したが

1691年(元禄4年)に再建したのである。、正面の唐破風屋根は江戸期の建築様式である


   
 東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう) 虚空蔵菩薩像 

盧舎那仏の名は、宇宙の真理を体得した釈迦如来の別名で世界を照らす仏

大仏の両脇に虚空蔵菩薩像、如意輪観音菩薩像、堂の隅に多聞天像、広目天像がある

   
廣目天(こうもくてん).   鎌倉再建大仏殿復元模型(兵火前)

鎌倉再建大仏殿復元模型(兵火前)は、現在の大仏殿と比べて横幅があり、逆に高さが低い 

   
持国天像と増長天像の頭部   柱くぐり

四天王は、、元々、仏教界の4人の守護神である多聞天、広目天、増長天、持国天のことをいう。

大仏の奥左右に屹立する広目天(左)と多聞天(右)像である。

東大寺には増長天と持国天の像は完成しておらず、首の上部分だけが残されている。

大きな柱の周りには人だかりができていて、その柱の穴をくぐっていた。

   
多聞天像  大仏の右側に如意輪観音菩薩像 


   
  手向山神社 

手向山神社は、東大寺の守護神として宇佐八幡宮から分社された第一号の神社

明治初期の神仏分離により東大寺から独立した


   
 手向山八幡宮 二月堂 

二月堂は、旧暦2月に「お水取り(修二会)」が行われることからこの名がある。本尊は絶対秘仏の十一面観音。

二月堂は、1667年(寛文7)に火災にあい全焼し、2年後に焼失前の姿に再建されたものが現在の堂である。

その堂の舞台では、大仏殿の屋根を眼下に奈良市内が一望することができる。生駒山も見えて、しばらく景色を眺める。

   
大仏殿、奈良市内の眺め 奥に生駒山が見える 本尊がまつられている。 



   
二月堂北側階段 走っている人がいた。 三月堂の南側にある経庫(重文)。 

三月堂の南側にある経庫(重文)は、正倉院で有名な校倉造(あぜくらづくり)の倉庫である。

   
若草山麓の標識  興福寺「北円堂」 

東大寺周辺を散策した後、国立博物館を見学しようとしたが、月曜日で休刊日であったので、阿修羅像がある興福寺に向かった。

   
 国宝館  五重塔と東金堂(共に国宝)

興福寺の国宝館には、国宝がずらりと展示されている。旧・食堂の跡地に建てられた鉄筋コンクリートの建物である。

奈良時代作とされる乾漆八部衆立像(国宝)もある。8体が揃って現存するが、五部浄像は大破して胸から

下の体部が失われている。中でも三面六臂(手が6本)の阿修羅像が著名である。

   
五重塔  南円堂 

興福寺から近鉄の奈良駅近くに移動し、そばのランチを食べて、ぶらぶらとJR奈良駅の方向に歩き出した。

   
奈良駅近くでランチ   JR奈良駅に向かう商店街


   
JR奈良駅  途中の富士川では徐行運転

JR奈良駅から電車に乗ろうとしたら、台風の影響で電車は走っていないとのこと。

仕方がないので、再度近鉄奈良駅に戻り、近鉄線に乗ることにした。大阪駅に15時ころに着くと、
 
たくさんの人でにぎわっていた。新幹線が朝から運転を見合わせていて、15時にやっと走り出したのである。

出発する新幹線に乗ろうとしたら、たくさん乗り込んでいて、次の便で乗ることにして待つ。

しかし、いくら待っても電車は来ない。そのうち、その番線はなかなか来ないと放送がかかる。

並んでいた人たちは、あわてて、次の便が出る番線に急いで移動する。待ってもいつになるかわからないので、

発車する新幹線は、たくさんの人が乗り込んでいたが、ぎりぎり新幹線に乗ることが出来た。

途中の富士川では、川の水量が多く手前では待って、徐行運転となった。

立ちっぱなしであったが、無事東京駅に7時ころに到着。

   
 東京駅でもにぎわっていた。