二条城 

2014年6月15日

前夜に大阪で、大学時代の同窓会が開かれる。この日は、ワールドカップの日本対コートジボワール戦があり、

同窓生の何人かは見ると言っていた。私は京都に出て、二条城を見学することにした。

前日に彦根城に行っていたので、今回は城めぐりの旅になった感じである。

   
東南隅櫓  東大手門

二条城は、徳川家康が慶長8年(1603年)に京の宿館として建設した平城。家康と豊臣秀頼との会見場所となったほか、

幕末の慶応3年(1867年)には15代将軍慶喜がここで大政奉還を行った。

明治時代には離宮になったこともあることから、正式名称は『元離宮二条城』という。

二条城は、天守はなくても、実際の居住空間、政庁である「御殿」が無傷で残っている。

   
唐門(からもん)  唐門の上の彫刻 


   
二の丸御殿  二の丸庭園

二条城は旧桂宮御殿を移した本丸(重要文化財)と二之丸御殿(国宝)からなる。二の丸御殿が公開されている。

二の丸御殿は、徳川家康による創建当時、本丸として使用されていた武家風書院造りの建物。

玄関に当たる車寄せに続いて、順に「遠侍」(とおざむらい)、「式台」(しきだい)、「大広間」、「蘇鉄の間」、

「黒書院」(くろしょいん)、「白書院」(しろしょいん)の6つの建物が南東から北西に向かって斜めに配置されている。

二の丸御殿に入ったが、場内は撮影禁止になっていた。

中には、大広間もあって、大政奉還が行われた場所があった。

二の丸御殿では、廊下がうぐいす張りになっていて、歩くとキュッキュッと音をたてる。

二の丸御殿 建物と役割

遠侍
遠侍は来客を迎える場所、
目付役が来訪者の受付をおこないました。
将軍が朝廷からの使者を迎える勅使の間もあります
式台
老中が執務をする老中の間があります。
お城に参上した大名が老中と面会する式台の間もあります。
大広間
将軍が大名などと対面する一の間などがあり、二の丸御殿ではもっとも豪華な造りです。
狩野探幽の襖絵や欄間には透かし彫りもあります。
黒書院
将軍と譜代大名などが、内輪の話をするところです。
大広間と同じ武家風書院作りですが、少し規模が小さくなります。
白書院
将軍の居室と寝室となります。江戸城で言うと「大奥」に当たるところです。
装飾は控えられ、襖絵も水墨画となり、落ち着いた雰囲気です。



   
 二の丸庭園  二の丸庭園

外国の方のグループが日本人の通訳の方に案内をされていた。

   
 本丸櫓門  本丸御殿

二の丸庭園から東橋を渡って、本丸御殿の方に向かった。

   
 天守台からの眺め 内堀にかかる西橋 天守閣からみた本丸御殿 正面にうっすらと比叡山

本丸庭園の奥には、かつての天守閣跡がある。ここには伏見城から移された五重五層(5階建て)の天守閣跡がある。

天守閣も1750年(寛延3年)に雷が落ちて焼失してしまい、その後再建されず石垣だけが残された。

現在は展望スペースのようになっており、上に上ると本丸御殿と本丸庭園を一望することができる。

家光による本丸御殿増築時に本丸の南西隅に、五層の天守閣が伏見城の天守から移築された。

   
本丸御殿跡に移築された旧桂宮邸の御殿   石垣

   
 天守閣跡(天守台) 本丸天守台 



   
 本丸西橋  本丸天守台

本丸を囲む内堀があり、西側と東側に門がある。

   
 北中仕切門 東橋と本丸櫓門 

   
清流園  近江牛弁当 

京都駅12:33発の東京行の新幹線に乗る。駅弁を買って、食べる。長旅の疲れも出たようで、車内では気持ちよく寝る。

今回の旅行は、職員旅行から始まり、大阪で同窓会があり、くっつけて、3泊4日の旅程になった。

最初は奈良で泊まり、2日目は雄琴温泉、3日目は大阪で泊まった。

奈良の天理から始まり、飛鳥を観光をし、滋賀の彦根城、大阪の道頓堀、京都の二条城と4県にまたがった旅行となった。