日光東照宮 

2016年6月10日

   
表門  神厩舎・三猿(しんきゅうしゃ・さんざる)

 日光東照宮は、元和(げんな)3年(1617)徳川初代将軍徳川家康公を御祭神におまつりした神社

家康公は、元和2年4月17日駿府城(静岡県静岡市)で75歳の生涯を終えられ、直ちに久能山に神葬された。
そして御遺言により、一年後の元和3年4月15日、久能山より現在の地に移されおまつりされた。
正遷宮は、同年4月17日二代将軍秀忠公をはじめ公武参列のもと厳粛に行われ、ここに東照社として鎮座。
その後正保(しょうほ)2年(1645)宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになる。
 尚、現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永(かんえい)13年(1636)に造替されたもの。

神厩舎は、ご神馬をつなぐ厩(うまや)。昔から猿が馬を守るとされているところから、長押上には猿の彫刻が8面あり、
人間の一生が風刺されている。中でも「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名。

   
三猿  ご神馬 

   
南蛮鉄燈籠   下神庫

 「伊達政宗」寄進の「南蛮鉄燈籠」は、ポルトガルからの輸入鉄で造られたものとして有名 
「三神庫(さんじんこ)」とは「下神庫」「中神庫」「上神庫」のことで蔵である

   
御 水 舎   陽明門改修中

   
坂下門   奥宮へつなぐ道

   
 奥宮 奥宮で参拝 

   
宝塔 家康の墓 叶杉 

奥宮で参拝後、宝塔の周りを歩く。叶杉は、宝塔の横、奥にある。願い事を唱えると叶うとされる。

   
狛犬   

   
坂下門を降りる。 上から見えたのは本殿  眠り猫

「坂下門」の東回廊の蟇股には有名な名工「左甚五郎」作と伝えられる「眠猫」がある。

   
眠り猫   

   
一本灯篭   唐門

唐門の奥にあるのが、拝殿、石の間、本殿があり、中に入ることができた。
大広間の拝殿で説明を聞き、参拝を行った。この拝殿は、当時は大名でないと入れなかったらしい。
座る場所も決められていて、大名の位によって前から座ったらしい。写真撮影は禁止である。
東照宮本殿・東照宮石の間は寛永13年(1636年)に造営されたもので内部は幣殿、内陣、内々陣の三室に分かれている。
石の間は、本殿と拝殿をつなぐ一段低い部屋。二つの社殿を結ぶ石の廊下が発達した形式のためこの名が付いた。

陽明門をくぐると、国宝の唐門が正面に見える。。大きくはないが、本社の正門という、重要な位置にある。
将軍に会えるような身分の人でなければ使えない門だったという。

   
回転燈籠   本地堂(薬師寺)

「回転燈籠」はオランダ献上の九角形の燈籠。九つの葵紋が逆葵紋になっている。

本地堂(薬師寺)の天井は鳴龍と呼ばれている。竜の頭の下で拍子木を打つと
「キィーン」という甲高い音が反響して竜が鳴いているように聞こえる。

   
二荒山神社へ続く参道   二荒山神社


男体山の神と女峰山の神をまつる二荒山信仰の本社

   
鳥居   

   
 神輿舎 大国殿 

   
  二荒霊泉(ふたられいせん) 

二荒霊泉(ふたられいせん) には、知恵の水、酒の泉、若水の三種類があった。

   
清水比庵 歌碑  日光連山遥拝所 

清水比庵の歌碑は、「春風の 二荒のやまは おほろかに 雲井にそびえ またはかくるる」と彫られている。

本名は清水秀。明治16年岡山県生まれ、昭和5年日光町長 で、昭和33年初の日光名誉市民となった歌人・書家・画家。

調布市深大寺にも清水比庵の歌碑がある。
「門前の蕎麦はうましと誰もいふ この環境のみほとけありがたや」

   
良い縁ハート投げ   菓子占い

「ハートに願いをかけてご縁柱に投げ当てる。しめ縄を越えて縁柱に届けばあなたに良縁が届くでしょう。」
見事に木に当たった音がした。

   
   日枝神社

日枝神社のご祭神は、大山咋神(おおやまくいのかみ)で、山の神様・健康の神様。



樹齢700年、巨木のご神木