2024年5月5日
嵐電 | 御室仁和寺駅 |
仁和寺に行った。世界遺産に登録されている。
嵐山で嵐電に乗って、帷子ノ辻で北野線に乗り換えて、御室仁和寺で下りる。
仁和2年(886年)、光孝天皇が西山御願寺として造営に着手したのが始まり。
2年後の仁和4年(888年)宇多天皇が先帝の遺志を引き継いで完成し、
元号をとって「仁和寺」と命名された。その後、宇多天皇は
退位して仁和寺で出家され、御室(御座所)を建て移り住んだ
仁王門 |
仁和寺は仁和4年(888)に創建された寺院であり、現在は真言宗御室派の総本山。
境内には五重塔や二王門など江戸時代に建立された建造物が並ぶ。
宇多天皇が仁和(にんな)4年(888年)に創建して以来、法親王が住持し
「御室御所」と呼ばれた(御室とは、「皇室の住居」の意味)
仁王門は江戸時代建築の重要文化財建造物。正保元年(1644)頃完成。
純和様で作られていることが特色で、王朝時代に
創建された当寺の二王門にふさわしい復古的な気風が漂う。
「吽形」 | 「阿形」 |
仁和寺の入口に聳え立つのが、京都三大門の一つであり重要文化財でもある二王門
右の「阿形」は怒りの感情を顕にした表情を、左の「吽形」は怒りを内に秘めた表情をしている
「室」は僧坊を意味し、法皇が御座する室の意味から「御室」といわれた。
以来、仁和寺は皇子や貴族が住職を務めるわが国初の門跡寺院となり、
「御室御所」と称された。平安時代後期には72もの寺院・院家(別院)が建立されるほど隆盛した。
金堂 |
境内の北側に位置する金堂は、仁和寺の本堂。現在の金堂は1613年造営の
内裏紫宸殿(だいりししんでん)を移築したものであり、当時の
宮殿建築を伝える現存最古の紫宸殿(ししんでん)として、国宝に指定。
京都を戦場として東西両軍が戦った応仁の乱では、仁和寺に陣を構えていた
西軍に対し、東軍が攻撃を加え、すべて焼け野原になったとされている。
その後、寛永11年(1634年)から、徳川家光の寄進によって再建が推進された。
五重の塔 | 観音堂 |
本尊は千手観音、脇侍は降三世明王と不動明王で、その周りに眷属二十八部衆を安置。
弥壇の背後や壁面・柱などには、白衣観音をはじめ、仏・高僧などが極彩色で描かれている。
通常は非公開であるが、今回は法話があり、中に入って聞久ことができた。
北庭 |
北庭は、石橋が架けられた池を前面に、池越しに「飛濤亭(ひとうてい)」や「五重塔」を望むことができ
将棋の竜王戦が仁和寺で行われた。