横浜美術館 

2018年4月30日


横浜美術館で、ヌード展が開催されていたので、観に行ってきた。

   
横浜美術館   

展覧会概要
ヌード――人間にとって最も身近といえるこのテーマに、西洋の芸術家たちは絶えず向き合い、挑み続けてきました。
美の象徴として、愛の表現として、また内面を映しだす表象として、ヌードはいつの時代においても永遠の
テーマとしてあり続け、ときに批判や論争の対象にもなりました。
本展は、世界屈指の西洋近現代美術コレクションを誇る英国テートの所蔵作品により、19世紀後半のヴィクトリア朝の
神話画や歴史画から現代の身体表現まで、西洋美術の200年にわたる裸体表現の歴史を紐ときます。
フレデリック・ロード・レイトンが神話を題材として描いた理想化された裸体から、ボナールらの室内の
親密なヌード、男女の愛を永遠にとどめたロダンの大理石彫刻《接吻》[日本初公開]やシュルレアリスムの裸体表現、
人間の真実に肉迫するフランシス・ベーコン、さらにはバークレー・L・ヘンドリックスやシンディ・シャーマンなど、
現代における身体の解釈をとおして、ヌードをめぐる表現がいかに時代とともに変化し、
また芸術表現としてどのような意味をもちうるのか、絵画、彫刻、版画、写真など約130点でたどります。

   
   ロダン《接吻》

特別展「ヌード」で、写真撮影が可能だったのは、ロダンの大理石彫刻《接吻》のみである。

   
 ロダンの大理石彫刻《接吻》  ロダン《接吻》 

ロダンの代表作であり、男女の愛を永遠にとどめた《接吻》。情熱に満ち、惹かれ合うふたりの純粋な姿が、
甘美な輝きに包まれています。「恋愛こそ生命の花です」こう語るロダンにとって、愛することは
生きることそのものであり、また制作の原点であったといえるでしょう。ブロンズ像で広く知られる《接吻》ですが、
高さ180センチ余りのスケールで制作された迫力の大理石像は世界にわずか3体限り。そのうちの一体がついに日本初公開。

   
藤田嗣治の《腕を上げた裸婦》  藤田嗣治の自画像 

コレクション展は写真撮影が可能であった。

 
 
 横尾忠則 「黒いY字路」  下村観山《ナイト・エラント(ミレイの模写)》1904年

横尾忠則(よこお・ただのり)の作品には、一つの視線の向こう側に左右で違う世界が出現するかのような
Y字路が描かれ、日々のなかで出会う選択と戸惑いについて、気づかせてくれるかのようである。
下村観山(しもむら・かんざん)は、1903年に日本人画家で初めての文部省留学生として渡英した。
留学中にはジョン・エヴァレット・ミレイの《ナイト・エラント》を、日本画の画材に通じる水性の絵具で模写した。
ヌード展で、ミレイのナイト・エラントが展示してあったので、見比べるコトが出来た。

   
 太田聴雨(おおた・ちょうう)の《飛天》 月岡榮貴 愛鳥図

太田聴雨(おおた・ちょうう)の《飛天》は、流れるような描線で表された肉感的な女性の身体が登場する。

   
 諏訪敦『Stereotype Japanese 08 Design』  佐々木豊《ものみな彼岸へ》2010年

諏訪敦『Stereotype Japanese 08 Design』は、石榴の身が潰れ、まるで血のように裸体の美女に纏わりつく。

   
奈良美智(なら・よしとも)の《春少女》   宮崎進(みやざき・しん)の《沈黙》

宮崎進(みやざき・しん)の《沈黙》貼り合わされた麻布と石膏によって、粗く顔の形に象(かたど)られ、
冷たい鉄板の上に置かれている。自身の4年に及ぶシベリア抑留という、極限の戦争体験に基づく省察を経て、
人間の存在への深い洞察と、創造活動の可能性を、静かに、しかし力強く表現している。

   
 松井冬子の『世界中の子と友達になれる』  

『世界中の子と友達になれる』は、世界中の子と本当は友達になんかなれない…という
メッセージにも見えるし、それでも、彼女は何処かに行こうと…まだ友達を探そうとしているようにも見える。 

   
右:鏑木清方(かぶらき・きよかた)の《遊女》   

   
中沢啓二の1979年と2005年 
土田ヒロミ(つちだ・ひろみ) 
横浜美術館内 

被爆した子供たちのその後を追ったポートレート《ヒロシマ1945-1979 / 2005》は、1951年刊行の『原爆の子』に
掲載された作文と共に、当時執筆した子供たちの、その後の姿が写されている。一方で、被写体になることや
取材を拒否したことを伝えるキャプションもある。

   
 水遊びをする子供たち  

横浜美術館を出ると、初夏の陽気で、水遊びをする子どもたちでにぎやかな声が聞こえた。


横浜美術館所蔵の『田家茶話六老之図』(歌川国芳作)には
「老い」を風刺した6つの狂歌が書かれている。
「シワが寄る ほくろができる背はちぢむ あたまはハゲる 毛は白くなる」
「手はふるふ 足はよろつく 歯はぬける 耳はきこえず 目はうとうなる」
「身におふは 頭巾えり巻 杖 眼鏡 たんこ温石 しびん 孫の手」
「くどくなる 気みじかになる 愚痴になる 心はひがむ 身は古くなる」
「聞きたがる 死にとふながる 淋しがる 出しゃばりたがる 世話をしたがる」
「またしても おなじはなしに 子をほめる 達者自慢に 人はいやがる」。
昔も今も変わらなく、老いる身につまされる。