小谷城
2019年8月17日
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河毛駅 |
盆の帰省前に、滋賀の小谷城と安土城に行くことにした。朝、始発の電車に乗り、
河毛駅9:17到着。河毛駅(かわけえき)は、滋賀県長浜市湖北町山脇にある、
西日本旅客鉄道(JR西日本)北陸本線の駅である。駅前で、レンタサイクルを借りる。
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浅井長政公、お市の方像 |
河毛駅 |
小谷城は戦国大名浅井氏の居城であり、茶々・初・江のふるさとでもある。
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NHK大河ドラマ放映記念 |
地元の小学6年生 |
麓から城跡までをつなぐ【小谷城シャトルバス「小谷城バス」】を運行していたので、乗車。
地元語り部(ボランティアガイド)が同乗し中腹(番所跡)にてバスを下車後、本丸跡まで案内。
今回は地元の小学生六年生が、小谷城の歴史説明をしながら案内してくれた。
実は、長浜市小谷小学校5、6年生が週末、地元の国史跡・小谷城跡(同市湖北町)で
「小谷城こどもガイド隊」を務めている。同校では、北近江の戦国大名・浅井氏三代と、居城だった
小谷城の歴史について全校児童が学んでおり、小谷山を訪れる観光客に学習成果を
披露することで、地域に誇りを持ってほしいという願いが込められているようである。
小谷城バス発着所の「戦国ステーション」からいざ、出発
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小谷城跡絵図 |
番所跡 |
小谷城は、滋賀県長浜市湖北町にある標高495mの小谷山(伊部山)から南の尾根筋に築かれた梯郭式山城。
バスを降りて、番所跡からは、歩いて登ることになる。ここから先、「御茶屋」「御馬屋」「桜馬場」と続く。
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番所跡 |
虎御前山展望所 |
織田信長は小谷城の正面にある虎御前山に布陣。
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御茶屋跡 |
馬洗池 |
御茶屋は主郭の最先端に位置する軍事施設だったそうである。
つづいて「御馬屋」とその横に「馬洗池」。三方を土塁で囲まれた曲輪で、
本丸跡の前面にあり、まさに、本丸を守るための曲輪であったと考えられている。
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御馬屋跡 |
姉川の戦い |
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首据石 |
首据石は、敵方へ寝返った今井秀信を神照寺で殺害し、その首をここに晒したとされている。
つまり、浅井亮政が六角氏に攻められた際、家臣の今井秀信が敵方に内通していたことを
知った亮政は、神照寺で今井を殺害し、ここに首を晒したと伝えられている
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桜馬場 |
浅井氏及び家臣供養塔 |
桜馬場では、大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の撮影ロケも行われた。
浅井長政とお市の方が、第1話で話すシーンや、第8話でお市の方と、浅井三姉妹が琵琶湖を眺めるシーン
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大広間跡 黒鉄門跡 |
「桜馬場跡」にて、小谷城址(じょうし)碑、石垣もみえる。
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小谷城最高の絶景地 |
右側に虎御前山 |
絶景地では、天気が良ければ、琵琶湖の竹生島はもちろんのこと、彦根城や伊吹山まで見られる。
今回は、彦根城や伊吹山は、見られなかったと思う。さらに、目の前に見えるのは虎御前山。
小谷城が攻め落とされる際に、織田信長が拠点とした山
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大広間跡 |
発掘された遺物 |
「大広間跡」は、お江が生まれたとされる曲輪(くるわ)跡。「千畳敷」とも呼ばれ、場内最大の曲輪跡。
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発掘された大広間の井戸跡 |
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本丸跡 |
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堀切 |
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信長が小谷城に攻め込む拠点とした虎御前山、坂を下ったところには
、信長に攻め入られた際に浅井長政が自刃した赤尾屋敷と、
お江ら浅井三姉妹の悲劇がまさにここで始まった。
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右 赤尾屋敷址 |
小谷城戦国資料館 |
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小谷城模型図 |
追手道入口 |
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東本町跡 |
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小谷城跡 |
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福田寺の寺伝には下記のような話がある。
「浅井長政とお市の間には、三人の娘のほかに、男の子が二人いた。
上の子が万福丸、下の子が万菊丸といった。小谷城落城時に二人とも
脱出したが万福丸は発見され磔刑、あるいは串刺しにされたが、
生後3ヶ月の赤ん坊だった万菊丸は幸い誰にも気づかれることなく福田寺で養育された」