沖縄 

2019年12月27日~31日

   
那覇空港  那覇空港 

娘の結婚式が沖縄であり、ついでに沖縄の旅行を満喫してきた。
那覇空港に着いてからまずレンタカーを借りて、首里城に向かった。
被災した首里城も見て、ホテルに着いた。

   
 リゾートホテルのロビー  居酒屋

28日が結婚式で、27日は、前夜祭で、両家の親族が集まって、居酒屋で親睦。

   
トロピカルジュースとオリオンビール  泡盛「かりゆし」 

   
   

   
ホテルの夜景   朝食のバイキング

宿泊するホテルの夜景が奇麗であった。ホテルに戻ってからも、妹の家族が
居酒屋にこれなかったので、部屋で飲む。朝食はバイキングなので、ついつい食べ過ぎてしまう。

   
 ホテルの部屋からの眺め  



クルージング 12月28日

   
クルージング船  乗船チケット売り場 


28日は結婚式で、緊張した。終わってからクルージングまで時間はあったので、
どこかに寄ろうと思ったが、わからない場所で、遅れてはまずいと思って、そのまま
どこもよらずにクルージング乗り場に行った。しばらく待って、サンセット 
ディナークルーズ船に親族一同で乗る。沖縄の夜景を眺めながら、ディナーを味わう。

   
 トロピカルジュース 舟からの眺め 

夕日は雲に隠れて、あまり見えなかった。

   
   

   
   

   
 ライブ  クルージング船

船上ではライブミュージックも行われていた。誕生日などの記念日も
対応してくれていたので、結婚式の祝いも申し込めばよかった。残念。



 12月29日

   
古民家食堂「ゆくる」  沖縄そばを食べる。 

午前中、美ら海水族館に行き、備瀬のフクギ並木道にやんばるあぐー豚に
特化した古民家食堂「ゆくる」でとくとくセット券で、みんなで集まって昼を食べる。

 
やんばるあぐーを使用した「沖縄そば」 




古宇利オーシャンタワー

 
 
古宇利大橋   

古宇利大橋は、沖縄本島北部の屋我地島(やがじしま/名護市)と
今帰仁村(なきじんそん)の古宇利島(こうりじま)を結ぶ
沖縄県道247号(古宇利屋我地線)途中にある海上橋。
オーシャンタワーに自動運転のカートに乗り、展望フロアに行く。
海抜約82メートルと小高い立地のタワー3階にパノラマビューが広がり、
古宇利大橋の全景が眺められる。

   
  「幸せの鐘」 

屋上にあるオーシャンデッキには、「幸せの鐘」があった。

   
 自動運転のカート  自動運転のカート



中村家住宅 12月30日

中村家住宅は19世紀初期ごろに建てられた、沖縄の住居建築の特色を全て備えている豪農屋敷で、
南向きの緩い傾斜地を切り開いた敷地は石灰岩の石垣で囲われ、母屋の他に高倉、納屋、畜舎などが付随する。

   
   

   
 客間の内部  

   
   

   
着物がかけてあった。   

   
クチャ  仏壇 

   
 石囲い  

アーチ型の三基連結の石囲いは、豚の飼育所になっている。


万座毛 12月30日

   
 像に似た岩  

日の入りの時間が過ぎて、万座毛見えるかなと思って、寄ってみたが、
ぎりぎり間に合った感じ。あっという間に暗くなっていった。
沖縄本島北部の恩納村にある万座毛(まんざもう)は、「万人も座する草原」
(毛とは草原のこと)琉球王朝時代、尚敬王が「万人を座するに足る」と
賞賛したことが名の由来と言われている。

   
   



   
   

29日の夜はホテルのバイキングを食べて、そのあと、
毎夜行われているプールサイドのミュージックライブを聞く。
行くとこ行くところで、沖縄の歌と音楽を披露している。

   
 ホテルのシーザー ホテルのシーザー 

   
   


   
 ホテルからの眺め ホテルの水槽 



ひめゆりの塔 12月31日

沖縄観光の最後にひめゆりの塔を訪れる。

   
   

入口には献花販売店があって、購入し、献花をする。

   
 ひめゆりの塔  

ひめゆりの塔は、看護要員として戦場に動員され、亡くなっていった
「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔。手前右のの小さな塔が『ひめゆりの塔』
奥に見えているのは慰霊碑(納骨堂)、慰霊塔の前に穴があいている
洞窟が沖縄陸軍病院第三外科壕跡。洞窟や壕のことを沖縄の方言で
「ガマ」と呼ばれている。ひめゆりの塔が建っているガマには当時、
ひめゆり学徒を含む病院関係者や住人などおよそ100名がいたそうである。
解散命令後の6月19日に米軍のガス弾攻撃を受けて80人余りが亡くなられたそうである。

   
第三外科壕の入口   

ひめゆり平和記念資料館は、沖縄戦に看護要員として動員されたひめゆり
学徒隊の戦争体験を伝えるために、1946年に建立。沖縄戦で
亡くなったひめゆり学徒227名の遺影や遺品、生存者の証言映像や手記が
展示されている。また、ひめゆりの塔のそばのガマ(伊原第三外科壕)の
実物大模型があり内部を見ることができまる。

   
ひめゆり平和記念資料館   

ひめゆり平和祈念資料館は撮影禁止になっていた。
病院壕のジオラマや元ひめゆり学徒生存者の証言VTRが流れる部屋があり、
ひめゆり学徒がじっさいに看護要員として配置された後の様子が分かる。

   
   


   
 那覇空港 那覇空港