大垣 

2024年8月11日


   
 車窓から伊吹山を望む 大垣駅 

前日は豊橋で泊まり、JRで大垣駅に向かう。

   
大垣駅南口 モニュメント   

   
 恒久平和の碑  大垣城
恒久平和の碑 
 此の恒久平和の碑は1945年、中国満州の地において終戦、日本に帰れると思ったら、ロシヤ軍によって強制連行され日本兵約60万人以上の人が極寒のシベリアの地において飢餓と、重労働に苦しみながら約6万人以上異国の土と化した。明日の命がだれ一人として、保証されなかったなかで、このような悲惨なことが二度とあってはならないと平和の誓いを込めてこの碑を建立しました。
大垣西濃地区ダモイ会(ダモイとは帰る)「 国の賠償に代わる労務提供者 」として我々は抑留された。(説明文)

大垣城は天文4年(1535年)、宮川安定がによって大垣市内を
流れる水門川の流れを外堀に利用して築城されたと伝えられている。
慶長5年(1600年)の関ケ原の戦いで、西軍・石田三成の本拠地となった大垣城。
その後、昭和11年に国宝に指定されたが、昭和22年に戦災で焼失。
昭和34年に復元され、現在は大垣市指定史跡として町のシンボルとなる。
大垣城で、郷土資料館、守屋多々志美術館
奥の細道むすびの地記念館と4館共通券を購入して、大垣城に入る。

   
火縄銃  再建大垣城 天守瓦 

城内は資料館となっていて、大垣城の歴史や関ヶ原の合戦、
甲冑(かっちゅう)や火縄銃などの武具、ジオラマなどの展示がある。
「大垣城クイズ」が行われていたので、挑戦する。
全問正解で大垣城のカードをいただいた。

   
   

   
 おあむ物語 おあむ物語 

落城寸前の大垣城から脱出し、この戦いの様子を語り継いだ女、おあむ(おあん)は、
城からの脱出の際、この松から堀の「たらい」へ乗り移ったと言われている。
このおあむが見てきた大垣城 籠城戦の様子は、『おあむ(おあん)物語』として後世に伝えられる。

   
おあむ物語   岐阜城もみえる

関ヶ原の戦いの大垣城籠城時の話が『おあむ物語』として描写されている。
おあむは、石田三成の家臣、山田去暦の娘。両親と
おあむがこの松を伝って逃れたという。現在の松は二代目。

   
関ケ原、伊吹山方面  西側 

最上階は展望台となっており、関ケ原の戦いの際に東軍が
布陣した岡山(現在の勝山)方面など、大垣市内の風景が一望できる。

   
  戸田氏鉄(とだ うじかね)騎馬像 

   
  関ヶ原合戦絵図屏風(複製) 

   
郷土館庭園   庭園

   
   

大垣は水が豊かな町。お城の水堀は、自然の川を利用していた。

   
奥の細道むすびの地記念館  芭蕉像 

松尾芭蕉が東北・北陸地方をめぐる「奥の細道」の旅を終えた地が大垣である。
芭蕉は、元禄2年(1689)3月27日に、弟子の曽良とともに江戸を出発し、
東北・北陸地方を巡り、8月21日に大垣で、『奥の細道』の旅を終えた。ときに芭蕉46歳。
距離にしておよそ2400キロ、150日あまりにおよぶ生涯で最大の旅であった。
芭蕉は、2週間ほど大垣の人々と交流してすごしたあと、水門川を舟でくだり桑名へ旅立つ。
そして、わかれるときに、「蛤(はまぐり)のふたみにわかれ行秋ぞ」という俳句をよんだ。

   
   

『奥の細道むすびの地記念館』は、松尾芭蕉の紀行文
「奥の細道」の解説をはじめ、芭蕉の人となりや旅に
生きた人生を紹介する「芭蕉館」、大垣の歴史や文化・芸術を
築き上げた幕末の先賢の偉業を紹介する「先賢館」、大垣市と
西美濃地域の観光情報や全国の芭蕉関連施設を紹介する
「観光・交流館」の3館と、大垣藩藩老・小原鉄心の別荘で、
市指定文化財である「無何有荘大醒榭」から構成されています。

   
 酒と梅と詩を愛した大垣藩の重鎮  小原鉄心像

幕末・明治維新の激動期に大垣藩(岐阜県大垣市)の命運を担った小原鉄心。
財政改革や軍政改革を推進したほか、明治維新に際し、多くの藩が
勤皇か佐幕のいずれに寄与するか迷ったときに時代のすう勢を
見極め、譜代大名だった大垣藩を勤皇に導いた。その一方で酒を好み、
梅を愛し、多くの書や詩文に親しんだ文人、趣味人でもあった。

   
おあむ物語  「芭蕉さんの姿」 

「芭蕉さんの姿」という企画展をしており、資料を見て回る。
ちょうどギャラリートークもあるということで、展示解説をしていただけた。

芭蕉は、貞享元年(1684)8月中旬から翌年4月末にかけて東海・近畿地方を巡って以降、『野ざらし紀行』をはじめとする紀行文のもととなる旅を重ねていきます。「旅の詩人」や「漂泊の俳諧師」などとも称されるように、旅を通して新しい俳風を求め続けました。 
俳諧に対する芭蕉の姿勢は、門人たちによって様々に受け止められます。そして、時代が移り変わるなか、捉え直しと増幅を伴いつつ、人々の間に広く浸透していきます。18世紀末になると、芭蕉は、百回忌の節目と相まって、神格化・仏格化され、俳諧史上、傑出した俳人として位置づけられることとなります。
第39回企画展では、俳人として生きた〈人間芭蕉〉の姿と後世の人々が思い描いた〈俳聖芭蕉〉の姿について、ゆかりの作品や資料を通して紹介します。


   
 交流館 カフェ 船町道標 

交流館で15時ころ遅い昼食を食べた。(うどんとおいなり)

   
 大垣市役所 守谷多々志美術記念館 

大垣市出身で日本画家で歴史画の第一人者として活躍された守屋多々志画伯の
作品を広く皆様に紹介する美術館として、平成13年7月28日に開館。
大河ドラマ「光る君へ」放送にちなみ、守屋多々志がライフワークの一つとして
手掛けた源氏物語とそれに関連した作品を中心に展示

   
大手いこ井の泉緑地   大垣市のマンホール

「大手いこ井の泉」。深工150mの井戸からは水温14度ほどの地下水がこんこんと湧き出ている。