2014年1月10日
08:55 大山バス停 09:05 ケーブル駅 09:25 大山寺 09:50 下社 11:15 山頂 12:35 下社 |
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山頂 |
連休がとれて、一日は山に登りたいと思い、この日は天気予報では、晴れマークだった。
行きやすい大山にしようと、朝、多摩川に出ると、富士山がよく見えて、奥多摩方向は澄み渡っている。
しかし、丹沢方向は雲がかかっている。そこで、奥多摩にしようかとも頭にはかすんだが、
地図も持っていないので、やはり大山にした。まず雨は降らないだろうと思って、運動靴でも良いと
思って出かけた。しかし着いてみると、前夜雪が降ったようで、雪景色であった。
大山バス終点前 | バス停前の橋から写す |
伊勢原から大山ケーブル行きのバスに乗り、終点で降りると、雪景色。
八意思兼神社 | 雪景色の中を歩く。 |
八意思兼神社は、ケーブルの追分駅左の階段を登るとすぐにあった。
神社向かって右側に男坂があったが、今回は女坂を登ることにした。
爪切り地蔵 | 大山寺大山不動尊 |
爪切り地蔵の説明版
弘法大師様が道具を使わず、一夜のうちに手の爪で彫刻されたと伝えられている。
何事も一心に集中努力すれば実現できるとの教えである。
大山寺本堂に登る階段 | 大山寺本堂 |
大山寺の本堂はもともとは阿夫利神社下社にあったが、明治初年の廃仏毀釈によって破壊される。
明治18年に全国の 信者たちの寄進によって再建された。
大山寺本堂に登る階段の両脇には多くの童子の銅像が建っている。
近くには、谷に向かって、瓦を投げる場所があった。
本堂脇の 地蔵 | 釣鐘堂 |
大山は、古代の山岳信仰を母体に社寺を中心とする神仏混合の信仰拠点として形成され、
近世は僧侶集団による運営がなされ、明治の神仏分離以降は神道組織と仏教組織が
それぞれ別々の運営を行い現在に至っている。
阿夫利神社下社 | 下社からの眺望 |
大山は、またの名を「あふり山」という。あふりの名は、常に雲や霧を生じ、雨を降らすのでこの名が起こったといわれる。
この日は、晴れ予報だったが、山の上は雲が多く、段々雪も降るようになってきた。下は晴れていた。
実際、大山は関東平野に突き出すように延びている丹沢山地の東端にあり、相模湾からの吹き込む
湿った空気があたる関係で一年中雨が降りやすいとのことであるらしい。
社拝殿の地下から湧き出る御神水 | 一礼来福 さざれ石 |
大山下社の神社の地下に入っていく。さざれ石。木の大剣や一礼すると福がくる七福人のメンバーが、祭られている。
双体道祖神和合神像 | 富士見台からは富士山は見えず。 |
双体道祖神和合神像いう像があって、何とも仲睦まじい像である。下社から頂上への
登山口の階段を登り始める。段々、粉雪交じりの雪が降り始めて、富士見台に着くと、富士山は見えず。
雪景色 | 雪の道 |
雪景色の道を歩くことになり、登っている人たちは、アイゼンをつけたりしていたが、運動靴では足が冷たくなる。
山頂 |
山頂は人が少なかった。富士山や丹沢方向はガスっていて、景色はあまり見えなかったが、
東側の方向は見えて、スカイツリーや相模湾、江の島などはかすみながらも肉眼では見えたりした。
都心方向 | 丹沢方面も雲がかかる。 |
下りも同じ道をたどる。だんだん人がたくさん登ってきて、雪道も解け始めていて、
ぬかるみ始めていた。途中、鹿の親子に出会う。
鹿 | 学問の神 菅原社 |
菅原社
菅原社は俗に天神様とも言われ、学問の神としてひろく崇敬されております菅原道真公、
天菩日命(アメノホヒノミコト)を御祭神としてお祀りされております。
当社の菅原社は亀戸天満宮の氏子であり、阿夫利神社崇敬講社である堅川睦太刀講の手によ宋社氏神様の
御分霊を奉歳して建立されたお社で、誠に神縁浅からぬ所であり神徳愈々光被いたしております。
学業成就、受験合格の御霊験にあやかりてご参拝下さい。
下社からのながめ | 江の島、相模湾 |
きのこカレー | ケーブルカーからの眺め |
大山阿夫利神社下社「参集殿」で、きのこカレーを食べる。ご飯が三角に盛られていたので、
大山を形作っているのかなと思った。テラス越しに雪が舞っていた。
下りは、無理をしないで、ケーブルカーに乗ることにした。一番前の席で、子どもが二人乗っていた。
一人は後ろから見ると、アンパンマンの帽子をかぶっていた。
帰りは伊勢原駅から東海大学前駅まで電車で行き、「さざんか」に入って、汗を流し、帰路についた。