楽寿園 

2019年8月18日

   
 三島駅  マーラ

愛知の実家に帰省した後、新幹線の三島駅で下りて、午前中、山中城に行き、午後は
三島駅近くの楽寿園に入ってみた。
園内では富士山の雪解け水が湧き出す景観や、貴重な溶岩地形を見ることができ、
元別邸の楽寿館も見学することができる。小規模な遊園地と動物園も併設されている。

   
 三島市郷土資料館  

園内に、三島市の郷土資料館もあり、入ってみた。

   
 西洋文化の流入  

   
 縄文時代  町民待望の三島駅開業

   
三島風俗絵屏風  三島風俗絵屏風 

   
三島宿中心部復元模型   駕籠

   
 三島の昔の家の内部  機織り機

   
 すずめケ池  

すずめヶ池にはクランクした橋が掛かっている。

   
小浜池 と楽寿館  

楽寿園は、昭和29年に国の「天然記念物及び名勝」に指定され、小浜池は富士山の
雪解け水が湧き出す池として有名。残念ながら、昭和37年頃から湧水の枯渇が続き、
池の底が見えている時が多くなった。しかし6〜7年に1度、水位150cmの「満水」を迎える時があり、
水をたたえた小浜池に浮かぶ楽寿館の姿は素晴らしく、特に人気を集めている。
「小浜池」の水位は標高25.69m(池中央付近の池底部分)を0cmとし、毎日計測している。
この日は、48cmである。

   
三島溶岩流   

園内では、溶岩の表面が押し上げられてできた「溶岩塚」や、中に
含まれていた火山ガスや取り込んだ水蒸気が冷えてできる「気泡」、
表面の流動しわである「縄状溶岩」などを間近に見ることができる。

   
 鞍馬燈篭 楽寿館 

楽寿館は、池泉(ちせん)回遊式庭園や貴重な明治中期の建築物である。
楽寿館の中も見学ができたので、14時半の時間にみることにした。
1日6回、時間指定で一般公開されている。見学所要時間は30分ほどで、
係の方が案内。建物内は撮影禁止。外の庭園に向かって撮影はできた。
楽寿館は、明治23年に小松宮彰仁(あきひと)親王により別邸として造営され、
その後、大韓帝国皇太子李垠(り ぎん)殿下の別邸となり、さらに資産家
緒明(おあき)圭造氏の所有を経て、昭和27年より三島市が管理運営するようになった。
楽寿館の一番の見所は、主室と次の間からなる「楽寿の間」。
この部屋の襖・杉戸・天井には野口幽谷(ゆうこく)や滝和亭(たきかてい)など
明治20年代の日本画家の第一人者達による210枚もの装飾絵画が描かれている。
主室のふすま絵は「千羽千鳥図(せんばちどりのず)」で、100羽以上の千鳥が
飛び立っていく姿が生き生きと描かれている。80面もの花の天井絵は白い彩色で
力強く大きく描かれ、床の間にある「鵞(がちょう)」の大掛け軸は太く豪快な筆跡である。
次の間は、80面の天井絵に小浜池のさまざまな植物が優しい調子で描かれ、
ふすま絵の「池中鯉魚図(ちちゅうりぎょのず)」を眺められる。
たくさんの杉板戸に、鶴や雁などが美しく描かれている。一枚一枚すべて作者を
違えることによって、当時の著名な日本画家達が競って腕を振るったと言われる。

   
 楽寿園内楽寿館の案内  

ちなみに、楽寿園に行く前の昼は、みしまやという定食屋で、あなご天丼を食べる。
穴子の他に、アスパラ、茄子、南瓜、レンコン、シイタケ等がどんぶりに
あふれんばかりにのっていた。梅干しの天ぷらも食べる前に教えていただいた。
穴子は2本に切って揚げられていた。