佐柿国𠮷城 
2024年5月2日
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| 一筆書きで 切符を購入 |
峠の釜めし |
5月1日に愛知の実家に帰り、母親が入所している施設に面会に行った。
今回も一筆書きでJRの乗車券を買って、福井と富山周りで北陸新幹線に
乗ることにした。新幹線と特急券の乗り継ぎ割引がなくなったことを聞く。
行きの新幹線で、駅弁「峠の釜めし」で昼食。
浜松まで「ひかり」に乗り、こだまに乗り換える。
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母と妹 |
お土産を買ったのだが、新幹線か浜松駅で置き忘れてしまう。ショック。
母は車いすで、耳も遠くて、近くで大きい声でしゃべらないと聞こえない。
何回も同じことを言う。面会時間は15分だったが、東京からわざわざ来てくれた
ということで30分ぐらい多めに見てくれた。
実家で焼き肉をごちそうになり、今回は三河安城の東横インに泊まる。
携帯電話の充電ができないので焦ったが、再起動をしたら充電できた。
旅に出ていると携帯が動かなくなると本当に不便を感じた。
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| 敦賀駅 |
敦賀駅 |
その日は三河安城駅近のの東横インに泊まり、敦賀周りで、美浜まで行く。
佐柿国吉城に向かう。ちょうど雨が降っていた。
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| 都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)像 |
美浜駅 |
日本書記では崇神天皇の時代に、角の生えた人物が船でこの地を
訪れたと書かれている。その人物が「都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)」
美浜駅に着くと雨が降っている。レンタサイクルも借りられず、
歩くのは大変と思い、タクシーに乗って、佐柿国吉城に行く。
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| 佐柿国吉城 |
模型 |
国吉城は若狭国守武田氏の重臣であった粟屋勝久が標高197mの通称「城山」に
築いた山城である。越前朝倉氏の侵攻を10年近くに渡って撃退し続け、後に織田信長、
豊臣秀吉、徳川家康の三英傑を迎え入れた。佐柿の町は、国吉城の城下町として整備され、
江戸時代には宿場として栄えた。現在も、当時を髣髴とさせる町並みや風情が色濃く残っている。
織田信長の朝倉氏討伐後には、多数の城主が入れ替わるが
江戸時代初期の1615年頃に廃城になったと云われている。
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登り口 |
雨が小降りになってきたので、山頂まで行くことにした。
のぼり道は階段など整備されていて傘を差しながらも歩きやすかった。
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| シャガの群生 |
シャガ |
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| 山頂からの眺め |
若狭湾 |
山頂は、若狭湾も一望でき、眺めはよかった。
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| 堀切 |
石垣跡 |
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| 本丸下曲輪段石垣 |
鹿やクマよけで柵に入る。 |
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| 美浜駅 |
越前花堂駅 |
帰りは晴れてきたので、佐柿国吉城から美浜駅まで歩いたが、距離はあった。
それでも次の電車までに結構時間があったので、次の目的地越前大野まで
どのように行くかを駅の方に聞いた。結局、この時間敦賀から福井までは
新幹線が「かがやき」はあっても自由席は使えなく、接続は悪いみたい。
小浜線は本数が少なく、15時12分発までない。敦賀行きでハピラインふくいで
越前花堂まで乗る。そこから九頭竜線に乗って、越前大野駅まで行くことにした。