2010年6月17日〜18日
職員旅行が一泊2日で行われた。コースは一日目、佐原に行き、香取神宮でお参り。
昼に昼食をとり、街並み散策をしながら、伊能忠敬記念館に入った。午後、潮来の十二橋
巡りをしてから、水郷佐原水生植物園で花菖蒲を愛でる。2日目は筑波山に
ロープウェイに乗って、登り、ケーブルカーで下りて、筑波山神社で参拝。帰りは、ブルーベリー狩。
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香取神宮
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大鳥居
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香取神宮は、下総の国一之宮、国運開発の神、武道(勝運)の神として信仰されている。
バスの時間の関係で、あまりゆっくり出来なかったので、参拝だけでもと急いだ。
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本殿
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奥に伊能忠敬記念館
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佐原の街に行き、伊能忠敬旧宅と記念館を見学。
旧宅は伊能忠敬が30年余り過ごしたと言われる建造物。
表から店舗、炊事場、書院と続く建物や土蔵があった。旧宅をみてから記念館に入った。
伊能忠敬は、江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を
完成させた人である。 忠敬は、延享2年(1745年)現在の千葉県九十九里町で生まれ、
横芝光町で青年時代を過ごし、17歳で佐原の伊能家当主となり、佐原で家業のほか
村のため名主や村方後見として活躍。 その後、家督を譲り隠居して勘解由と名乗り
50歳で江戸に出て、55歳(寛政12年、1800年)から71歳(文化13年、1816年)まで
10回にわたり測量を行っている。その結果完成した地図は、極めて精度の高いものといわれている。
その間歩いた距離は三万5千キロといわれている。地球一週分にもなる。
測量の成果は大日本沿海輿地全図として結集。それは忠敬が73歳で亡くなった3年後である。
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旧伊能忠敬宅に置かれていた測量機
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着物姿の女性も街並みに似合う
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伊能忠敬の日本地図
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加藤洲水門がみえる
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加藤洲十二橋めぐりの船は北利根川を横断し、加藤洲水門をくぐり細い水路を運航。
常陸(ひたち)利根川と与田浦に挟まれた場所は加藤洲(かとうず)と呼ばれ、かつては孤島だった。
その加藤洲水路に架かる12の橋が、十二橋(じゅうにきょう)。この十二橋を編み笠姿の
女船頭が操る田舟、「サッパ舟」にのり、水郷情緒たっぷりの船旅が楽しめる。
まずは水門の前でしばらく水量調整が行われている門を通る。この門は
向こうとこちらで二箇所つけられていて、両方を閉めて向かう方向の水面にあわせて水量を調節する。
舟はその場で待機をして、加藤洲に向かっているので、50センチくらい水面を下げた。
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十二橋をめぐる
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途中、鷺もいた
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加藤洲(かとうず)という集落に入っていくと、当然ながら生活の場なので、
エンジンを停めて船頭さんの竿一つで舟は進んでいった。川べりに舟置き場があって、
階段をあがって家に入れるようになったりしていた。途中、団子を売っている店もあった。
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女船頭さん
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舟の到着場、(水生植物園の隣与田浦)
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女船頭さんが潮来の歌を披露してくれた。この方自身が、若い頃この舟に乗って、
嫁入りし、その時の写真を見せてくれた。嫁入りの際、花嫁や嫁入り道具を運搬するときに
もサッパ舟が使われていたのである。現在、76歳といわれ、とても見えない若々しさである。
川幅は更に広がって「与田浦」にでて、突き当たりの「佐原水生植物園」に到着。
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園内水路のサッパ船
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花菖蒲
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植物園では、花菖蒲が見事であった。
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花菖蒲
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花菖蒲
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道の駅から筑波山
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ホテルから筑波山
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ホテルから筑波山
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京成ホテル
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筑波山には、つつじヶ丘からロープウェイにのって、女体山口まで行き、そこから女体山に歩いて登って、
女体山から男体山にも登った。ケーブルの山頂口まで戻って、ケーブルカーにのって、下りて、
筑波山神社で参拝をした。
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筑波山、女体山山頂
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筑波山神社
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帰りは、筑波山麓にある農園「ブルーベリー・ピクニック」でブルーベリー狩りをする。
今年は、この日からオープンをしたようである。
たくさんブルーベリーが実になっていて、美味しくて食べやすいので、どんどん採って口に運んだ。
色々と種類があるみたいで説明をしていただいたが、味音痴なのかあまりわからず、とにかく美味しくいただいた。
有機栽培、無農薬だそうである。ぎりぎり天気ももって、帰る頃にぽつぽつ雨が降って来た。
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ブルーベリー
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ブルーベリー狩り
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