さきたま古墳 

2022年3月31日

   
   

桜が見ごろであろうということで、さきたま古墳に行った。車で行く。
「埼玉古墳群」は、県名発祥の地「埼玉(さきたま)」にある。古墳群は5世紀後半から
7世紀中頃にかけて、大宮台地の北端に連続して築かれた、前方後円墳8基、
大型円墳2基、方墳1基並びに小円墳群で構成される古墳群

   
二子山古墳   

二子山古墳は、他の前方後円墳と同様、二重の長方形の周堀が周囲をめぐり、
墳丘と中堤に造出しをもつ。造出しはそれぞれ西側に設けられている。

   
 愛宕山古墳  

愛宕山古墳は駐車場近くにあり、墳丘長は54.7mと、埼玉古墳群で最も小さい前方後円墳。

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 駐車場からの桜 一寸一(ちょっといち) 

ちょうど昼頃に着いたので、まずは腹ごしらえで食べようと、ちょっといちという
店に入ろうとしたら、混んでいた。まずは予約をする。

   
   海鮮丼

海鮮丼を食べる。茶碗蒸しもついて、おいしかった。

   
   

将軍山古墳は、1894(明27)年に地元の人びとにより発掘され、
横穴式石室(よこあなしきせきしつ)からは馬用のカブトである
馬冑(ばちゅう)や、蛇行状鉄器(だこうじょうてっき 旗さし金具)をはじめ、
銅鋺(どうわん)、環頭大刀(かんとうのたち)など、多くの
副葬品(ふくそうひん)が出土。その後、墳丘(ふんきゅう)はかなり崩れてしまう。
そこで、これらの遺構(いこう)や遺物(いぶつ)を保存活用していくために、
墳丘や堀の復原とともに、石室の内部が見学できる将軍山古墳展示館を設置した。

   
房州石   

「房州石」とは、千葉県房総半島産の砂質凝灰岩の石材のこと。
この石が横穴式石室の壁にたくさん使用されていたのだそうである。

   
 丸墓山古墳を望む  

   
 菜の花に覆われる将軍山古墳  

明治時代に後円部に造られた横穴式石室が発掘され、多くの副葬品が出土した。
石室には、遠方より運ばれた二種類の石材が使われていることがわかっている。

   
   

稲荷山古墳の墳丘の全長は120mで、周囲には二重の長方形の周堀がめぐる。
墳丘、中堤のそれぞれ西側に、造出しという張り出し部が設けられている。
礫槨からは、鏡や武具、馬具とともに、115の文字が刻まれた鉄剣が出土した。

   
  稲荷山古墳 

   
   

   
   

   
丸墓山古墳案内図   

直径105m、高さ18.9mと日本最大級の円墳である丸墓山の頂上と斜面に桜の木が植えられている。

   
丸墓山の頂上  忍城三階櫓がみえる。 

豊臣秀吉が天下統一を進める1590年、家臣の石田三成は、忍城を水攻めをする。
その際、城がよく見えるこの古墳の上に陣を張ったという伝承が残されている。

   
   

   
   

   
 国宝金錯銘鉄剣
(こくほうきんさくめいてっけん)
 
 金錯銘鉄剣
 稲荷山古墳の後円部墳頂の埋葬施設の一つである礫槨れきかくから出土した副葬品。剣身に表面57文字、裏面58文字の計115文字の銘文が金象嵌で刻まれている。その内容は「辛亥年」(西暦471年)に「ヲワケの臣」(または「ヲワケコ」)が「杖刀人首」(「杖刀人」のトップ)として「ワカタケル大王」(雄略天皇)に仕えたことを示すもので、日本古代史を解明する上で欠かせない超一級資料。

   
   

   
  忍城三階櫓 

   
   

   
   

   
 吉見百穴  

吉見百穴(よしみひゃくあな)は古墳時代の末期(6世紀末〜7世紀末)に造られた
横穴墓で、大正12年に国の史跡に指定された。現在は219基の穴が確認されている。
大正時代になり、古墳時代の後期に死者を埋葬する墓穴として作られたもので
あることが明らかになる。17時に閉まるとのことで、生憎ついたのが17時近くになり、
入ることができなかったので、外から眺めて、写真を撮る。

   
   

   
  岩室観音堂 

「岩室観音」は比企西国三十三札所の第3番。ご利益は、災難除け、交通安全、商売繁盛、安産など。

   
観音石仏  ハート形の胎内くぐり 

“胎内くぐり”といって、お堂のなかをくぐると諸難を除き、安産、その他の
願いごとが叶うと言われている。くぐってみた。
お堂の1階には、88体の観音石仏が奉られている。

   
 岩室観音