成城 

2020年5月10日

   
高架下の保育園に置かれていた  道案内標示(次大夫掘公園) 

最近、狛江までの街歩きはしたが、その先は歩いていなかったので、向かってみた。
和泉多摩川で自転車を置いて、小田急線の架線下沿いを狛江〜喜多見〜成城学園と歩く。

   
野川  上野田橋の表示 

   
 喜多見不動堂  滝の水

野川にかかる上野田橋から崖線を上って、喜多見不動堂に着く。
喜多見不動堂は、世田谷区成城にある堂宇。喜多見不動堂は、
喜多見の住人浦野半次郎ほか6名が発起人となり明治9年に創建、
昭和16年慶元寺の境外仏堂となったといわれる。
不動堂には崖線につけられた急な石段を登る。

   
喜多見不動堂本堂   玉姫稲荷


正式名称は「喜多見慶元寺境外仏堂」で、本尊は不動明王坐像。
創建されたのは1876(明治9)年のこと。多摩川大洪水のときに、喜多見の川原に
お不動様が流れ着いて、それを成田山新勝寺で入魂して祀ったと伝えられている。
階段のすぐそばには、豊かなハケの湧水が筋をなす不動の滝があり、
かつては信者たちが水行をした。また滝口には滝不動が祀られている

   
 岩屋不動  岩屋不動

本堂脇には、小さい洞窟があり、岩屋不動が祀られている。

   
 稲荷  石像

   
高級住宅街  成城みつ池緑地 

成城は、高級住宅街として有名である。確かに歩いていると、豪邸が立ち並び、車も高級車が停まっている。
成城みつ池緑地 は、新型コロナウィルスの影響で、入ることはできなかった。

   
クロガネモチ ヒマラヤスギ 

芸能人をはじめ著名人が数多く住むことでも有名である。

   
 クヌギの木(右)  石原裕次郎邸

平成14年に成城憲章が制定された。
「成城憲章」では敷地の細分化や高層住宅の開発を制限するとともに、
生垣や樹木など緑に囲まれた家づくりを行うこと、建物を隣地から1m以上離すこと、
塀を造る場合は高さを1.8m以下にすることなど、景観や美観への配慮を求めている。
また、国分寺崖線の湧水や野川、仙川の治水を目的とし、敷地内に雨水浸透設備や
雨水貯留設備の設置も求められています。
「成城憲章」に法的拘束力はなく、「成城憲章」に反した建物を建築することは可能。
しかし、成城エリアが目指す街の姿を「成城憲章」として明確に示すことによって、
街並みの維持に一定の効果を得てきいるとのこと。

   
成城学園駅  和泉多摩川駅近くのキリスト教会 

   
仙川   

   
打越橋  仙川 

仙川沿いの打越橋〜石井戸橋の桜並木は、並木自体の美しさだけ
でなく、仙川の川面に映り込んだ景色も見所とのこと。

   
ゴジラ像  七人の侍の壁画 

仙川沿いに東宝の撮影所がある。高台にある成城からみると崖下の土地、
成城の外れということになる。ここに撮影所が建てられたのは
昭和6年のことで、最初は映画録音会社のP.C.L(写真科学研究所)だった。
昭和11年になると関連の三社が合併して東宝となったとのこと。

   
七人の侍の壁画とゴジラ像   ゴジラの壁画

成城の町は昭和2年に小田急線成城駅が開通し、本格的に町の形成が
始まっていくことになる。そして周知の通り高級住宅地として発展する。
成城が人気のある高級住宅地になった要因は幾つかあげられるが、
その一つにこの東宝の撮影所の存在があげられるようだ。それは映画俳優が
撮影所に近いという事もあって成城に暮らすようになり、また撮影所から
近いので成城を含めたこの地域がロケ地として使われる事も度々あった。
映画俳優が暮らす町、映画のロケ地の町といった憧れから人気となり、
人気のある町=地価高騰=高級住宅地という一面があげられる。
ゴジラの像があるメインゲート前の道を進むと、昔は関連会社の
東宝大工センターというホームセンターがあった。大道具係の人が材料を
調達しやすくするためにホームセンターまで造ってしまったようである。
2010年1月で閉店してしまい、今では一般の企業が経営する
「くろがねや成城店」というホームセンターに替わっている。
調布にも東宝大工センターがあったが、「くろがねや」に経営が
変わっている。同じような原理かな。

   
 住宅地 成城石井 

   
喜多見の街並み   成城学園駅