仙台 

2017年4月23日


仙台の教会でお別れの会に参列したついでに、仙台城に行った。

仙台駅 名物かもめの卵の看板

   
お土産屋「萩の月」   観光案内所

仙台駅に着いて、観光案内所が開くのを待って、仙台城への行き方等を説明していただいた。

   
 るーぷる仙台  るーぷる仙台のルートマップ

「るーぷる仙台」lというバスに乗り、「仙台城址」まで行く。

   
 るーぷる仙台の停車場 本丸詰門跡

仙台城は、初代仙台藩主伊達政宗によって造営された。関ヶ原の戦い直後の
慶長5年(1600年)12月に城の縄張り(なわばり)が行われ、翌年1月から普請に着手された。
東と南が天然に断崖によって固められており、徳川家康の警戒を避ける目的で
あえて天守が作られなかったと言われている。
工事は慶長7年(1602年)には一応の完成をみたとされている。関ヶ原の戦い後も、
徳川氏に敵対していた上杉氏との合戦に備え、砦(山城)が必要とされたのである。
鳥居をくぐり石段を上がった右手が詰ノ門跡。

   
 大広間跡  上段の間の「床」再現

本丸跡に着いて、仙台城見聞館があって、中に入った。上段の間のコーナーでは、床の間を実寸大で再現していた。
本丸跡の北側に位置する大広間は、本丸御殿の主要な建物で、藩の政治や儀式を行う場でもある。
本丸は、東側が広瀬川に臨む断崖であり、西側を「御裏林(おうらばやし)」と呼ばれる山林、
南側を竜ノ口渓谷(たつのくちけいこく)が囲むという自然の地形を巧みに利用した「山城」である。

   
懸造跡   懸造

ボランティアガイドさんが説明してくれるというので、説明を聞くことにした。非常に歴史に詳しい方である。
本丸の北側には大広間や御成門(おなりもん)のほか、東側の崖に面した懸造(かけづくり)へ建物が
連なっていたようである。説明をしながら、ファイルで写真を見せてくれた。清水の舞台のように建物がせり出している。

   
広瀬川と大橋  仙台市内 

広瀬川の河岸段丘と西南から延びた舌状の青葉山丘陵を利用した城が仙台城。
青葉山に位置していることもあって地元の人々には「青葉城」の呼称で親しまれている。

   
 仙台駅  

仙台城址からの眺めはよい。仙台の街並みや遠く山が見られる。栗駒山も雲がかかっていたが、見ることができた。

   
   

   
伊達政宗騎馬像   伊達政宗騎馬像

現在の政宗像は2代目で、第二次世界大戦後に作られたもの。初代の像は金属供出で方から下は軍に
接収された。戦後肩より上の部分が発見され、現在は仙台市博物館に展示されている。
つまり、初代の騎馬像は1935年に設置され、戦時中の金属供出のため撤去されたが、戦後に同じ
原型から鋳造され、1964年に現地に設置された。宮城県柴田郡柴田町出身の彫刻家の小室達の作品。

   
 

台座にある像で、左は少年期の元服姿の図(戦災で紛失のため親交のあった故・翁朝盛氏の復元) 
右は、権中納言の位を授けられた頃の束帯姿の図(60歳)

   
朝鮮出兵の図   家紋『三引両(みつびきりょう)』

政宗像台座に家紋があった。

   
通称『仙台笹』と呼ばれる『竹に雀』  遣欧使節団・支倉常長の月浦から
出航を見送る図(47歳) 

   
 本丸北東部の石垣  石垣モデル(野面石)

平成9年から平成16年にかけて行われた本丸跡石垣修復工事に伴う発掘調査で、三時期にわたる
石垣の変遷が確認された。築城期に造られた野面石を使用した石垣と、寛文年間の地震以降修復
された切石積みの石垣の構造の違いを、分かりやすく紹介している。つまり
仙台城の石垣は2つの時期に異なる方法で積まれた形跡がある。17世紀初頭の築城期の石垣は、
丸みを帯びた巨石の隙間に小さな石が詰め込まれているのがわかり、本丸の北側は4代目の
伊達綱村の時期に解体修理を行ったときに破損などで使用できなくなった石を積み上げている。

   
石垣モデル(切石)   大広間跡

大広間の内部を描いた絵図は数種類あるが、その中で発掘調査の成果とほぼ一致するのが、
「御本丸大広間地絵図」(仙台市博物館所蔵)である。この絵図によると、名前の付けられた部屋は
14部屋あった。伊達政宗はじめ、藩主が座った「上段の間」や、天皇や将軍を迎えた時に使うとされる「上々段の間」があった。

   
 上段の間跡  

   
 首実験の間跡 本丸北壁石垣 

解体修復工事にともなう発掘調査により、内側から築城期の石垣と、元和2年
(1616)の地震で崩壊したあとに築かれた石垣が埋没していることが確認された。

   
本丸北壁石垣   

本丸北壁石垣は、四角く加工された切石を使用した布積みの石垣。美しい反りを持つ石垣で、
最も高いところは約17mの高さである。平成9年から16年にかけて、解体修復工事が行われている。

   
伊達政宗胸像  魯迅 

仙台市博物館の館庭に伊達政宗胸像がある。
1935年に宮城県青年団が仙台城跡の本丸跡に設置した伊達政宗騎馬像の一部。
戦時中の金属供出のため撤去され、戦後の混乱の中、胸から上の部分のみ残った。

   
 逓−昨日・今日・明日− 水堀(五色沼) 

三の丸の堀は「五色沼」と呼ばれており、日本フィギュアスケート発祥の地でもある。
フィギュアスケート金メダリストの羽生結弦選手も仙台市出身、荒川静香選手も幼少時代は
仙台で暮らしていた。ふたりのメダリストと発祥の地が深く関係しているのも不思議な縁である。

   
るーぷる仙台   大橋

   
広瀬川   広瀬川

   
国際センター駅  東西線 

国際センター駅から東西線に乗って、仙台まで行き、南北線に乗り換えて、台原まで行き、歩いて教会まで行く。
お別れの会が終わってからまた、仙台駅で、知り合いとビールを飲みながら、亡き人を偲びながら、懐かしく話をする。
仙台市博物館に行けてなかったので、心残りとなり、バスに乗りに行ったが、出発まで時間があり、遅くなり、
降りる駅も降り損ねて、結局、博物館の閉まる時間が近づいてきたので、城址から国際センターの駅に
下りてきて、帰路に着いた。

   
 るーぷる仙台の運転席 大手門脇櫓 

   
大手門土塀  支倉常長(はせくらつねなが)の銅像 

支倉常長の銅像が大手門隅櫓の向かいに立っていた。

   
国際センター駅  羽生結弦と荒川静香の絵 

今回、うまく時間や道のりが使えなくて、仙台市博物館と瑞鳳殿に行けなくて、
心残りではあったが、仙台の歴史を垣間見ることができて、よかった。