白川郷 

2017年5月7日

   
   民家園入口

白川郷は江戸時代以前からの地名で、現在、白川郷と呼ばれる場所は、岐阜県の白川村の萩町(おぎまち)を指している。
民家園は白川村の使われなくなった合掌家屋を移築・保存して作られた野外博物館。昔ながらの暮らしぶりが再現。
県重文9棟を含む25棟の合掌造りを保存、公開する博物館。主屋だけでなく、神社やお寺本堂、水車小屋等があり、
主屋は屋根裏まで見学できる。なかでも山下家は、白川村に現存する数少ない18世紀の合掌造りである。
造園のきっかけは、この地域の過疎化に伴い加須良村が1968(昭和43)年に地図から消えてしまったことによる。
長い歴史を刻んだ合掌造り家屋を保存するために、1969年から住人を失った家屋が庄川左岸に移築され始め、
現在では全22棟の民家を保存し公開している。

   
 民家園案内 民家園入口 

白川郷(世界遺産白川郷合掌造集落)は、岐阜県(飛騨国)内の庄川流域の呼称。
大野郡白川村と旧荘川村(現高山市)に相当し、前者を「下白川郷」、後者を「上白川郷」と呼ばれている。
今日では白川村のみを指す。白川郷の荻町地区は合掌造りの集落で知られている。
五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に独特の景観をなす集落が評価され、白川郷・五箇山の
合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている。

   
  かたりべの館 

   
水車小屋   白山

   
デエ   囲炉裏のある部屋

建物の中に入って、見学をする。

   
   

中野義盛家 主屋の内部には、集団離村前の加須良集落の写真パネルや養蚕に使われた用具が展示されている。
白川郷、五箇山の両地域は平地が少ないために稲作には不向きで、屋内での養蚕製糸や
煙硝作りなどの家内制手工業が盛んだった。また、両地域は明治時代末期まで、家長と、
次世代の家長夫婦を中心に、親族と使用人の数十人が一緒に暮らす大家族制が主流だった。
こうした理由で、巨大な建物が必要だったのである。

   
2階にあがる   

合掌造りは、屋根裏を作業場として積極的に利用していた。

   
オエ (居間) マヤ 

囲炉裏のある部屋は「オエ」と呼ばれる。囲炉裏の煙や煤は各階に配されたスノコを通り、
家屋全体に行き渡る。木材を結束するのはマンサクや荒縄の樹皮で、屋内を満たす
囲炉裏の煤はこれらの木材や荒縄を燻(いぶ)して丈夫にするとともに、防虫効果を高める。
マヤは牛馬の飼育小屋。

   
庭園風景  マタダテ(股建)小屋 

マタダテ(股建)小屋は仮設住宅である。災害などで家を失った時に、家屋の再建までに仮住まいとして建てられていた。

   
   

山下家という白川郷に現存する最も古い民家。民家園のある場所から約 3km 離れた白川村島から
移築した旧山下陽朗家の主屋。現存する合掌造りは19世紀の建築が多く、
山下家のような18世紀(江戸時代中頃)に建てられたと推定される合掌造り家屋は貴重な存在。

   
   

   
   

   
 縁側でくつろぐ 鳩谷八幡神社

鳩谷八幡神社は、民家園から1.5km離れた白川村鳩谷から移築した建物。
神社の酒蔵庫(御神酒倉)として使用されていたもの。家の前に鳥居があった。

   
合掌造りの家も借景とした池のお庭   

   
   

   
庄川  出会い橋 

いわゆる合掌造りの集落は庄川という川の向こう側である。民家園で時間を多くとったので、
残りの時間で橋を渡って、少し歩いてみる。外国の観光客も非常に多く、
さすが世界遺産だけあって、国際的である。バスもほとんど外国人の表示がしてあった。

   
   

   
文化喫茶   

   
  桜 

合掌村も普通の生活している家なので、民宿なども多かった。

   
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