静岡 

2024年7月9日

7月9日〜10日で、静岡で研修があり、駿府城など近くを歩いて回った。

   
駿府城石垣  家康の武具 

   
静岡市歴史博物館   戦国時代末期の道と石垣の遺構

まずは静岡市歴史博物館に入り、観て回った。
全国的にも珍しい博物館内での露出展示で、館のシンボルとなる
本物の戦国時代の道。駿府城下町の初期の姿を物語る貴重な遺構で、
石垣の上には土塀があり、両側には武家屋敷があったと推定される。

   
巽櫓   静岡鉄道の車両製造銘板

   
 しずてつを支えた1000形車両 A3000形車両の登場 

   
七夕豪雨と清水市内線の廃線  しずてつの各駅 

   
  3階ラウンジから望む富士山 

   
   東御門

東御門は1996年(平成8年)に日本古来の伝統工法にのっとって復元され、
資料館として公開された。また、1989年(平成元年)に復元された巽櫓は、
全国にある城の櫓建築でもほかに例の少ないL字型の平面をもち、
駿府城の櫓の中では防御に優れた櫓。両館内では、駿府城公園内より
発掘された資料の展示や徳川家康が幼少期の人質時代に太原雪斎から
教えを受けたとされる、臨済寺の部屋を復元した「竹千代手習いの間」などを見られる。

   
  鯱 

シャチホコは二ノ丸堀から出土されたという。

   
   

   
  本丸掘 

   
  徳川家康像 

   
天正期天守台出入り口  今川家の遺構と遺物 

静岡市は駿府城跡地の公園整備に向けて2016年8月から天守台などの
発掘調査を行っている。地中に埋もれている石垣は、1607年の大改修後の
駿府城の天守台石垣で、これまでに北側と西側が出現、天守台の
大きさは北辺が約61メートル、西辺が約68メートルあることがわかった。

   
金箔瓦出土地点  大御所家康の小天守台 

   
 天正期天守台南面 慶長期の石垣と天正期の石垣の特徴 

天正期の天守台に関しては、周囲から大量の金箔瓦が出土し、
これが家康の手になるものか、中村一氏が豊臣系の大名として
導入したものか、意見が割れている。一方、慶長期の天守は、
『当代記』のほか『慶長日記』、『増補慶長日記』などの記録で、
その姿をある程度再現できる。

   
天正期天守台東面  慶長期天守台 

   
慶長期の小天守台  発掘された天守台 

駿府城は家康没後の1635(寛永12)年、城外の火事が引火して天守や櫓などが
焼けてしまい、以降、天守が再建されることはなかった。駿府城の
天守についての記録は限られており、おおよその姿はわかるものの
詳しいことは不明で、駿府城の外観を描いたいくつかの絵図の
天守も形が異なるなど実際の姿を特定することが難しい状況だという。

   
  静岡おでん 

昼に静岡おでんを食べた。

   
   

   
   

   
ルノワール「勝利のビーナス」    「洗濯する女」

JR静岡駅南口広場に、フランスの芸術家ルノワールが制作した彫刻像「勝利のヴィーナス」「洗濯する女」がある。

   
 竹千代、今川義元公銅像