STARS展 

2021年1月3日


   
パブリックアート「ママン」   六本木ヒルズ

   
 村上 隆 《お花の親子》2020年  

高さ約10mの金色に輝く巨大な新作彫刻作品《お花の親子》を、六本木ヒルズの玄関・66プラザで公開

   
村上隆 お花カフェ  STARS展 

村上隆の「お花」の世界観を楽しめるコラボレーションカフェを、《お花の親子》の展示開始に合わせオープン
日本という枠を越えて広く国際的に活躍し、高い評価を得るアーティスト、草間彌生、李禹煥、宮島達男、
村上隆、奈良美智、杉本博司。その活動の軌跡を、初期作品と最新作を中心に紹介した展覧会

   
赤鬼  青鬼 

鬼の彫刻は災害や疫病に立ち向かうものとしてつくられてきた。

村上隆 
村上隆は、日本のバブル経済期に花開いたオタク文化に、江戸時代から脈々と流れる日本独自の感性を見出しました。その感性をもとにした「スーパーフラット」という理論を提唱し、マンガとアニメを起点とするキャラクター絵画やフィギュア彫刻を発表しています。作品では平坦な画面構成、色彩豊かな装飾、大胆な構図、奇抜なデフォルメ、遊び心に溢れたイメージを表出し、「奇想の系譜」と呼ばれる江戸期の絵師から現代の漫画家やアニメーターに至るまで、日本文化の水面下で脈動する造形精神を表象しています。村上の活動の根底にある問題意識は、欧米の価値観とは異なる日本発の言説を世界の美術界で確立することにあります。それを実現するため、欧州の美術制度の導入によって抑圧された美学を回復し、第二次世界大戦後に生きる日本人の姿を様々なプロジェクトを通して表現してきました。西洋美術の流行を追従するのではなく、日本の「リアリティ」を顕在化させる必要性に迫られたことが、日本のサブカルチャーに創作の基礎を置く発端となりました。2000年から、自身の芸術観を具現化した展覧会シリーズ「スーパーフラット三部作」を欧米で開催し、世界的な知名度を獲得しました。 
本展では、村上の初期作品から東日本大震災への呼応として制作された巨大な鬼の彫刻作品と最新ビデオ作品までを紹介しています。2次元のキャラクターを3次元化した《Ko²ちゃん(プロジェクトKo²)》(1997年)、《ヒロポン》(1997年)と《マイ・ロンサム・カウボーイ》(1998年)では、日本の大衆文化に潜む欲望を誇張して表現することで、その美意識を批評的に解釈することを試みています。本展のために新しく制作された巨大絵画《チェリーブロッサム フジヤマ JAPAN》(2020年)は、観光名物としての絵画をアイロニカルに描き出した野心作です。

   
 Ko²ちゃん(プロジェクトKo²  

   
「My Lonesome CowBoy」 「HIROPON」 

「HIROPON」は村上隆の作品の一つ。1代目である「My Lonesome CowBoy」が
精液を振り回す美少年である一方で、2代目であるこの作品は自らの母乳で
縄跳びをする等身大の美少女の姿を表現している。オークション会社のクリスティーズに
出品され、約5,000万円で落札された。ちなみに「My Lonesome CowBoy」は
約16億円で落札され、大きな話題となる。どちらもこれまでの古典的な
絵画や彫刻といった芸術活動をすべて覆すかのような衝撃を芸術界全体に与えた。

   
 チェリーブロッサム フジヤマ JAPAN  

   
 李禹煥 《関係項》  
李禹煥 
 「関係項」は、李禹煥が立体作品の包括的なタイトルとして、1970年代以降採用してきた言葉です。あらゆるものは世界との関係性によって成立し、それのみで存在しているものはない、と考えます。この哲学は作品だけでなく、繰り返し言葉にも綴られ、もはや彼の生きる姿勢とも重なり合っています。韓国と日本、東洋と西洋、実践と理論、絵画と彫刻、対象物と余白、自然と人工物、作ることと作らないこと――こうした二項対立構造のはざまで、李自身は与えられた空間や状況における媒介、エネルギーとして機能し、それぞれの瞬間に求められる緊迫と均衡の時空を模索してきました。
1956年に来日した李は、1968年頃に本格的な作家活動と評論活動を始めます。出品作の《関係項》(1969/2020年)は、後に李が理論的支柱となる「もの派」という当時の動向を最も良く象徴する作品でしょう。彫刻か絵画かに関わらず、対象となるもの同士やその周囲にある空間や余白の出会い、相互依存関係によって作品が成立するという考え方は、出品作の《関係項-不協和音》(2004/2020年)や絵画シリーズ「対話」から2019年と2020年に制作された新作2点にも一貫して見ることができます。
近年、世界各地で発展した複数のモダニズムが注目され、李禹煥や「もの派」の国際的な評価も、韓国や中国などアジアを含めて高まっています。「近代的なオールマイティを批判しつつ、作らないこと、描かないこと、あるいは他者や外部を表現に導入することに力を注いできた」という李の主張や問題提起は、いよいよその力を発揮しているといえるでしょう。



   
  展示風景、ピンクボート 


 草間彌生
 草間彌生は70年に及ぶキャリアの中で、多岐にわたるメディアを用いて数々の作品を発表してきました。「常同反復」や「増殖」「集積」と呼ばれる、水玉や網目模様、突起などの造形が繰り返される表現を特徴としており、これらは幼少期から度々経験する幻覚や幻聴の影響だといいます。
網目模様が画面を覆う「無限の網」(1959年-)や、無数の突起物が家具やボートに縫い付けられた「ソフト・スカルプチュア」(1962年-)の抽象表現は、発表された当時、ミニマリズムやポップ・アートの先駆的な作品として欧米で高く評価されました。一方、新境地といえるシリーズ「わが永遠の魂」(2009年-)には、人物や植物などの具象イメージが描かれています。これらは草間の幼少期の作品にも登場するモチーフです。自身が「生命の賛歌」と称する本シリーズには、生と死、光と陰、戦争と平和など相反する要素が描かれています。
本展では、ニューヨークを拠点にしていた1960年頃の初期作品から、1993年の第45回ベネチア・ビエンナーレに日本館代表として出品した《天上よりの啓示(B)》(1993年)や《ピンクボート》(1992年)、さらに最新の絵画シリーズの「わが永遠の魂」までを紹介しています。ニューヨークのアート・シーンに認められた1960年代から世界的に再評価された1990年代の作品、そして最新作までの変遷を通じて、草間作品に通底するコンセプトやメッセージを読み解くことができます。「私が生きていること、人間、世界、地球などへの深い憧れが芸術の中に入ってる」と語る草間作品の迫力を体験できるセクションでもある。

1957年に単身渡米した草間彌生は、前衛主義の奔流の渦中で、
挑発的な反戦パフォーマンスを仕掛け、幼少期から苛まれる幻覚や
脅迫観念を、夥しい反復性を特徴とするネットペインティグやソフトス
カルプチャーに投影してきた。いまも「出口の見えない自己隔離」の
精神生活を送る草間の凄まじい苦悩と、生き延びるための尽きる
ことのない純粋な創造欲求は想像を絶する。

   
「無限の網」 女たちの群れ 

「女たちの群れ」は愛を待っているのに、男たちはいつも去っていってしまう。

   
草間彌生 「季節に涙を流して」  「時の海—東北」プロジェクト(2020 東京) 

宮島達夫 
 宮島は「それは変化し続ける」「それはあらゆるものと関係を結ぶ」「それは永遠に続く」というコンセプトに基づき、1980年代半ばからLEDを用いて1から9までの数字が変化するデジタルカウンターを使ったインスタレーションや立体作品を中心に制作を行っています。0(ゼロ)は表示されずLEDは暗転しますが、これは死を意味し、生と死が繰り返されることが表現されています。時間という普遍的な概念を扱いつつも仏教的思想やテクノロジーという要素を融合させ、国際的評価を得ています。一方で、広島や長崎の悲劇を主題にしたプロジェクトも手掛け、2017年からは、東日本大震災犠牲者の鎮魂と震災の記憶の継承を願い、最終的に3,000個のLEDカウンターを東北地方に恒久設置することを目指す「時の海―東北」を継続的に制作するなど、社会的な参加型プロジェクトにも力を入れています。宮島は1988年第43回ベネチア・ビエンナーレの若手作家部門「アペルト88」で《Sea of Time》(1988年)を展示し国際的な注目を集め、その後、香川県直島の「家プロジェクト」で《Sea of Time ’98》(1998年)を発表しましたが、「時の海―東北」はこれを発展させたものです。
本展では、この「時の海―東北」で現在までに制作されたデジタルカウンターをすべて集めた最新作が、一般参加者がカウンターの速度を設定する様子などが収められた記録映像とともに公開されます。また、理論上30万年以上の時を刻むことができる《30万年の時計》(1987年)と、一元論・二元論という名がつけられた《Monism/Dualism》(1989年)という、宮島の海外デビュー前後の作品も展示されます。

   
 30万年の時計  

   
   

奈良本人の多様なコレクションなどを展示している。コレクションの中でもとくに目を引くのは、
ロックを中心とした音楽レコードやCDの数々。「はじめて美術と直結したのは、レコードを
買うようになってから。有名な人でいうとアンディ・ウォーホルが黄色いバナナをつけた
ヴェルヴェット・アンダーグラウンドとか」「近くに美術館がなかったから、家の中の自分の
部屋やストリートのポスター、映画の中に出てくる小物とかで自分は美術に接していたんだと思う」と話す。

奈良美智 
奈良美智は、1980年代よりドローイング、絵画、彫刻、写真、インスタレーションなど、様々なメディアで作品を制作しています。1988年、ドイツ国立デュッセルドルフ芸術アカデミーへの入学以来2000年まではドイツで制作活動を行っていました。帰国した2000年には、シカゴ現代美術館、サンタモニカ美術館での個展、2001年には国内5館を巡回する個展が開催されるなど、国内外で活躍するようになります。奈良はまた、音楽への造詣の深さと愛、様々なクリエーターとの協働、ポップ・カルチャーと現代美術というジャンルを超えたスタイルでも知られています。 
子供、動物などが単純に抽象化され、デフォルメされて頻繁に登場する作品群は、親しみやすさと神聖さ、無邪気さと残酷さなど、一見相反する性格を共存させ、観るものの想像力を刺激します。近年では、穏やかで精神的な雰囲気を持つ肖像画も多数制作されています。奈良作品の孤独な主人公たちは、弱くて正直であるが故に社会の中で力を持たないものたち、辺境や境界で生きるものたちの代弁者であり、大人の心の片隅に生き続けている無垢な心の表象でもあるのです。さらに、「霊魂のありか」である肖像画は時代を超えた根源的なものとなるでしょう。
本展示は、作家活動最初期の1980年代から2020年までの活動の変遷を見せると共に、奈良美智の創作世界を体験できるものとなっています。初公開の15点を含む初期作品約20点、コラボレーションなどで幅が広がった中期の代表的なインスタレーション作品である《Voyage of the Moon(Resting Moon) / Voyage of the Moon》(2006年)、新作《Miss Moonlight》(2020年)を含む大型肖像絵画、そして奈良本人の多様なコレクションなどを展示しています。

   
  Voyage of the Moon (Resting Moon)
/ Voyage of the Moon 

   
   

   
   

   
   

   
   シロクマ

 杉本博司
写真や現代美術に限らず、古美術、建築、造園、伝統芸能など、幅広い文化に精通する杉本博司は、芸術、科学、宗教、歴史が渾然一体としてあったルネサンス期のクリエイターを連想させます。幼い頃から、自分の見ている世界が実在することへの不信感を持っていた、と言う杉本は、物事の本質や真理、記憶の古層にある曖昧なイメージ、特定の形を持たない光。こうしたビジョンを明快なコンセプトと職人的技術で作品化し、それを他者と共有するのです。
1970年に渡米。1974年にニューヨークへ移住し、現代美術家としての活動を始めます。「ジオラマ」シリーズ最初の作品である《シロクマ》(1976年)は、アメリカ自然史博物館にあるジオラマを片目を覆って見たところ、生きているような幻覚が見えたという体験がきっかけになりました。本作は制作された翌年にニューヨーク近代美術館に収蔵され、新収蔵品展にも出品されました。一方、海と空が水平線でちょうど二分された「海景」(1980年-)は「古代人が見ていた風景を、現代人も見ることは可能なのだろうか」という問いから始まっています。この「海景」シリーズを90度回転させた「レボリューション」(1982年-)では、水平線は地球の輪郭線の一部へ転換され、意識は大いなる宇宙へ放たれます。 
本展で上映される初映画作品《時間の庭のひとりごと》(2020)には、杉本が神奈川小田原市に設立した「江の浦測候所」(2017年開館)の四季折々が細部まで納められており、庭園、建築、古美術、化石、写真、舞台芸術など、人生の集大成として杉本の世界観を堪能できるものになっている。


   
   

   
   

   
 スカイデッキからの眺め スカイデッキからの眺め 

六本木ヒルズ森タワーの52階にある「東京シティービュー」は、世界最大級の都市・東京の中心に
位置し、海抜250mの屋内展望回廊と、海抜270mの屋外展望回廊「スカイデッキ」がある展望施設。
エスカレータとエレベータで登ってみた。

   
 スカイツリー  筑波山

   
ヘリポート  都庁方面 

   
都心風景  富士山と夕陽 

   
   

   
  森美術館 

   
 東京タワー 六本木ヒルズ