昇仙峡 

2014年3月26日

娘と山にでも登る予定であったが、天気予報では、午前中曇り、午後雨となっていた。

雨になるようだったら、山ではなくて、手軽に歩けるところと思って、昇仙峡散策をした。

天神森の市営駐車場に車を停めて、昇仙峡のロープウエイのあるところまで往復をした。

天気はあまり良くなかったので、ロープウエイには乗らなかった。

   
 天神森 昇仙峡案内図 

昇仙峡は山梨県甲府市と甲斐市にまたがる荒川上流沿いの長潭橋(ながとろばし)から仙娥滝までの全長約5kmに亘る渓谷。

花崗岩が侵食され、覚円 峰(かくえんぽう)、天狗岩(てんぐいわ)、人面岩、登竜(とうりゅう)岩、猿岩などの奇岩が並ぶ。

それぞれの石に名前が付けられていて、標識が示してあった。

   
亀石  オットセイ石 


   
 大砲岩  トーフ岩


   
 らくだ石 猿岩 


   
 大仏岩 雪をかぶった富士山  


   
えぼし岩   愛の架け橋

昇仙峡の渓谷を刻む川は荒川で、この川はやがて笛吹川に合流し、富士川となって駿河湾へと注いで行く。

愛の架け橋は、別名「天鼓林橋」と言い、男女二人で渡ると愛が結ばれると言い伝えられている。

   
 羅漢寺入口 覚円峰と天狗岩 

羅漢寺は、昇仙峡の散策路から吊り橋の羅漢寺橋を渡った対岸に本堂がある。

標高1056mの羅漢寺山の南東側の山麓に位置している真言宗の寺院。

本堂の左手前に五百羅漢像の保存庫があり、檜材などを用いた一木造りの立像で、合計154躯ある。

像底に応永31年(1424年)の墨書がある。それぞれの像の表情も違っている。

甲斐国では平安時代に天台・真言密教の影響で山岳信仰が成立し、甲信国教の金峰山は

富士信仰と並ぶ御嶽信仰の山となり、羅漢寺はその拠点となる修験道場であったらしい。


覚円峰は、この巨岩の頂で、覚円と呼ばれる僧が座禅を組んだという言い伝えからこの名が付いたそうだ。

   
円右衛門碑   石門

長田円右衛門の碑は、江戸中期、人々の生活のため多額の私財を投じ昇仙峡の整備をした功労者だそうだ。

江戸後期の天保5年(1834年)から長田円右衛門・勇右衛門が地元の生活道路として

昇仙峡新道を開拓し、天保14年(1843年)に完成。


   
 石門  石門手前からみる覚円峰
見る位置によって表情を変える覚円峰。

巨大な花崗岩に囲まれた石門は、先端がわずかに離れている。

   
 仙蛾滝 昇玉堂の脇に恐竜 

仙娥滝の「娥」は仙女の意味で、なめらかに流れる美しさから仙娥滝と呼ばれている。

高さ30mの3段の仙娥滝。

   
 昇玉堂  昇玉堂


昇玉堂という社に日本一大きい水晶玉が祀られている。甲府市は江戸時代から天然水晶を採掘し賑わいを見せた町で、

水晶の研磨技術が向上し宝石の町と呼ばれるようになった。

   
 巨大な水晶玉  天幸五龍神

巨大な水晶玉は450キロで、記念撮影をした。

昇玉堂の脇にある天幸五龍神。龍と水晶と大変相性がよく、美龍(右上)が美、勝龍(右下)が勝負事・賭け事、

健龍(中央上)が健康・長寿、財龍(中央下)が財運・金運・商売運、学龍(左)が学問・技芸の願い事を叶えてくれのだそうだ。

   
おじゃマップで紹介された記事。  幸運の紅水晶 


   
研磨工場内の水晶クリスタル  水晶採掘の穴 


   
水晶採掘の内部   昇仙峡の歴史の写真


   
 研磨工場の入口の前  研磨工場入口


   
隕石と亀の化石  川中島の合戦のシーン(水晶博物館) 


   
 水晶博物館の入口の水晶  昇仙峡開拓者 長田円右エ門之碑


   
 五月雨岩  


 
荒川ダム