首里城 

2019年12月27日

   
守礼門   

守礼門は尚清王時代(1527〜1555)に創建。扁額の「守禮の邦」とは「琉球は礼節を重んずる国である」という意味。

   
歓会門  漏刻門

歓会門は首里城の正門。中国皇帝の使者(冊封使)など、訪れる人への歓迎の意を込めて名前がつけられた。
1500年前後創建。沖縄戦(1945年)で焼失し、1974(昭和49)年に復元された。
漏刻門は、櫓の中の水時計で時刻を計ったことで名付けられた門。

   
   

   
広福門の前の広場から見た景色。(那覇市方向)  広福門 

   
   

10月31日未明に起きた大規模な火災で焼失した首里城。
正殿、北殿、南殿が全焼し、奉神門と書院も被害を受けた。
早期の復元を望む声が湧き上がっている。沖縄の人にとっては、
宝物である。早期の復興を祈る。

   
   

   
   

   
   

   
   

   
   

グスクは名護市の名護城(ナングスク)のように、もともとは土造りで、
14世紀頃に琉球石灰岩を用いた石垣の城へと進化した。
同時代の大和スタイルの城は、楠木正成(くすのき・まさしげ)が
築いた千早(ちはや)城や赤坂城などのように土造りの山城で、
大和スタイルの城が石垣を導入したのは16世紀である。

   
   

首里城公園入口の近くにある玉陵は1501年(文亀元年)尚真王が築いた
第二尚氏歴代の陵墓で、破風墓(庇のある家形の墓)が3基連なり、
国の重要文化財で世界文化遺産にも登録された。墓の前には
広々とした中庭があり、王家の威厳を今に伝えている。

   
   

   
   

   
ライトアップされた守礼門  ライトアップされた外壁 

次の日に、クルージングに乗って、終わった後、渋滞の道を通って首里城に行ってみた。
守礼門や外の城壁はライトアップされていたが、歓会門は閉まっており、中には入れなかった。
城の外壁に当たる階段を昇って、見晴らしの良いところまで行って、戻ってきた。