高輪 

2020年11月22日


   
高輪ゲートウェイ駅   高輪ゲートウェイ駅

義父母のお墓参りのついでに、高輪周辺を歩いた。この周辺は寺や神社が多かった。

   
 高輪ゲートウェイ駅前の開発工事 車町稲荷神社 

車町稲荷神社はビルの一角で、社務所の屋上に建っている。

   
車町稲荷神社の 拝殿 拝殿内部 

   
泉岳寺 山門 泉岳寺境内からみた山門 

境内にある「赤穂浪士記念館」へ足を運んだ。義士ゆかりの品を見ることができた。

   
本堂   義士墓入口の門

   
 素願成就の梅「八ッ房の梅」謂われ  浅野長矩公の墓

素願成就の梅「八ッ房の梅」謂われ
元禄十五年 赤穂浪士 頭領 大石内蔵助良雄 
間瀬久太夫正明 兵庫 明石の人麿山月照寺に
素願成就を念じ参拝 併せ 持参の「八ッ房の梅」を
祈念し月照寺に託すと伝承
爾来 珍重して三百有余年 時を得て
八房一門より大殿の墓前に献じ奉る


47士墓所近くに、江戸城松の廊下の刃傷事件で切腹となった
浅野内匠頭長矩公の墓がある。戒名は「冷光院殿吹毛玄利大居士」。

   
 大石内蔵助墓 義士の墓 

1701年3月14日、江戸城中で旗本・吉良義央に切りつけ、即日切腹処分となった
播磨赤穂藩の藩主・浅野長矩と、翌1702年12月14日に江戸本所の
吉良邸に押し入って主君の仇を討った47人の赤穂義士の墓である。
泉岳寺には討ち入り前に自害した浅野氏の家臣・萱野重実の供養塔を含めて48基の墓がある。
今回は、赤穂義士記念館と義士木像館に入館した。義士木像館には
江戸時代終わりから明治二年までに制作された四十七義士の木像が収められていた。

   
山門と紅葉  銅彫大蟠龍 

山門の二階部分には十六羅漢が安置され、一階中央天井には
我が国彫金の名匠、関義則の銅彫大蟠龍(どうちょうだいばんりゅう)が
見られる。蟠龍とは、とぐろを巻いた龍のこと。

   
 高輪大木戸跡  

 高輪大木戸跡
 高輪大木戸(たかなわ おおきど)は、江戸時代中期の1710年、江戸の街の治安維持のため、現在の銀座8丁目、新橋駅付近に東海道の両側に石垣を築き設置されました。現在残っているのは、1724年、そこから4kmほど南西に移設されたものです。江戸の各町にあった「町木戸」に対し江戸全体を守る木戸であることから、この門は「大木戸」と呼ばれ、旅人やその送迎客でにぎわいました。木戸の幅は約10m、初めは柵状の門があり、明六ツ(おおよそ午前6時)に開門、暮六ツ(おおよそ午後6時)に閉門していました。江戸時代後期には門の機能は廃止され、浮世絵には石垣のみが描かれています。伊能忠敬が日本地図作成のために行った測量の起点がこの大木戸でした。明治元年(1868年)に西側の石垣は取り払われ、現在は国道15号線沿いに東側の石垣だけが残されています。現存する江戸大木戸の遺跡はここだけであり、江戸時代の産業交通土木に関する史跡として貴重な存在と言えます。昭和3年(1928年)に、国の史跡に指定されました。


   
   高輪大木戸跡

   
願生寺 地蔵堂 願生寺 

願生寺は、1602年に開かれたという。

願生寺 地蔵堂 
 江戸時代には「江戸南方四十八所地蔵尊参(えどみなみのかたしじゅうはっしょじぞうそんまいり)」の二十一番の札所地蔵とされていました。像の特徴としては「船後光(ふなごこう)(舟形光背、ふながたこうはい)」といわれる、像後ろの後光が船を縦にしたような形になっている点が挙げられます。
地蔵堂前のにあるのは石羊です。牛供養塔があるのに何故羊と思うところですが、これは20世紀初め、ある檀家様に寄進していただいたものです。満州方面の工芸品と伝わっています。

   
牛供養塔(左) 二千七百六十人之霊供養塔(右)  
 牛供養塔及び二千七百六十人之霊供養塔
 牛供養塔は、願生寺門前の車町の牛屋七家によって、牛供養のため元文3年(1738)に建立されたのをはじめとします。車町は属に牛町ともいい、江戸幕府が江戸城増築などの際に重量物の運搬をするために招いた京都牛町の牛屋をこのあたりに常住させていました。現在の塔正面に刻まれた「南無阿弥陀仏」の題字は江戸時代の中期の高僧祐天上人(1637-1718)の書を写し刻んだもので、文政11年(1828)に建立されたものである。祐天は、将軍から庶民にいたるまで生き仏として尊敬された人物で、その功徳を願って筆跡を写し、建てられたものと思われます。
二千七百六十人之霊供養塔は、元禄2年(1689)から文政13年3月15日までに無縁となった人々の霊の供養のために文政13年に建立された供養塔です。碑正面には牛供養塔と同様に祐天上人の筆跡を写した「南無阿弥陀仏」の文字が彫られています。
江戸で唯一の牛町の存在を伝える歴史資料として、また庶民の信仰を示す資料としても貴重といえます。(港区教育委員会掲示より)

江戸時代、この一帯は牛車で建設資材や米、酒樽などを運ぶのを
なりわいとする牛持ちたちが集まり住み、芝車町、俗に牛町と
呼ばれていた。寺は牛町の真ん中にあり、生きているさんざん
働かされたので、哀れんで供養塔を立てたようである。

   
 願生塔(合葬塔) 願生寺 

願生塔(合葬塔)は、後世に墓所を守る方がいないなどの事情がある方向けの合同墓所

   
高輪神社 入口   高輪神社 拝殿

高輪神社の御祭神は宇迦御魂神(うがのみたまのかみ)誉田別命(ほだわけのみこと)、
猿田彦神(さるたひこのかみ)、境内社に聖徳太子を祀る。

   
 七五三詣り 桂坂 

   
高輪消防署 二本榎出張所  高輪警察署 

江戸時代に入って、東海道が波打ち際に整備されるまで、南北を結ぶ道は狭い海辺を避けて、
西側の台地上を通っていた。「高い所にあるまっすぐな道(繩手)が、高輪の名前の由来といわれ、
その道は現在、二本榎通りとされる。ちょうど坂を上がったところに日本榎どおりがある。
高輪消防署から左に曲がると、二本榎通りから高野山東別院の山門に出る。

   
 高野山東京別院本堂 堂内 

高野山真言宗総本山金剛峯寺(和歌山県)の別院。慶長年間に浅草に開創され、
延宝元(1673)年に「高野山江戸在番所高野寺」として現在の地に建立した。
昭和2年に現名称に改称したという。本尊は真言宗の開祖、弘法大師。
堂内の奥に本尊弘法大師坐像が安置されていた。

   
   弘法大師像

   
 山門  

山門には右に「高野山東京別院」、左に「合掌礼拝入山門」と大きく金文字で書かれている。

   
物流博物館   

物流博物館は、現代物流の要所である空港、港湾、鉄道、トラックの各ターミナルの
ジオラマ模型のほか、物流に関する映像、クイズ、ゲームなどを通して、暮らしと産業に
欠かせない物流のしくみをわかりやすく紹介している。
また、主に江戸時代から昭和までの物流のあゆみを展示している。

   
グランドプリンスホテル新高輪   柘榴坂

   
物流博物館   品川グース

   
JR品川駅   

   
 品川駅近くのビル群 品川駅構内