高岡城 

2022年5月3日


   
   信号が縦になっている。

石川の友達に、七尾城に連れて行ってもらった後、高岡城まで車で乗せてもらう。
富山の信号機が縦になっていたのは、豪雪対策だそうだ。

   
 「トロッと炙っちゃい鱒丼」  朝暘橋

道の駅「万葉の里高岡」で、「トロッと炙っちゃい鱒丼」を食べる。
トロッとろの厚切り炙りサーモントロ。サーモンの旨味をさらに引き立てて
くれるのは、かぶらをすりおろしたドレッシングとシーザードレッシングを
合わせた、道の駅オリジナル「白だれ」。温玉もついていた。

   
 本丸広場  高岡市立博物館

「高岡城跡」は慶長14年(1609)、前田利長の築城。6年後の廃城の後も
長らく保存された。明治8年(1875)に公園として開放された。
 利長公は、「詩経」の一節からこの地を「高岡」と名付けた。
その5年後、利長公は死去し、元和元年(1615)、城は一国一城令により
廃城となったが、三代利常公は、利長公の意をくみ、
城郭の基本構造を残した。また、まちにおいては鋳造産業の奨励、
布・魚・塩などの物資の集散地とし、城下町から商工業のまちへと転換を図る。
当時城跡は、町民から「古御城(ふるおしろ)」と呼ばれ、
現在でも、曲輪と水郷はぞのまま残され、高岡古城公園となっている

   
 高岡市立博物館  土橋にかかる石垣

   
 高岡大仏  高岡大仏

高岡大仏は、高岡市の大佛寺にある銅造阿弥陀如来坐像。
1907年(明治40年)に造営事業が着手され、26年の歳月をかけて
1933年(昭和8年)に完成。その後、1958年(昭和33年)には円輪光背が
取り付けられ、2007年(平成19年)には長年の風雪で腐食が進んだために
全面修復が行われた。総高15m85cm、重量65トンの大きなスケールは、
銅器日本一の高岡の象徴的存在である。

   
   

参道入り口の両脇に仁王像(もちろん銅製)が立っている。

   
 大仏の頭部  

台座の内部には回廊があり地獄絵などが展示されていて、
中央の部屋には1900年に焼失した木造大仏の頭部が鎮座している。

   
前田利長銅像  朝暘の滝