高遠城址公園

2004年4月16日(金)

桜がそろそろ終ってしまいそうということで、思い切って高遠まで行きました。

高速道路で諏訪インターまで行きましたが、やはり、遠かったです。しかし、

桜は満開を過ぎていても、見事でした。桜も人もいっぱいでした。

高遠城は古くから伊那谷の要所であり、天文16年(1547)、武田信玄の命で築かれました。

そして、武田方仁科五郎盛信と織田信忠の攻防を最後に戦乱の時代に幕を閉じました。

明治4年(1871)廃藩置県となり、翌5年高遠城の建物は民間に払い下げられ、

旧藩士達が桜の馬場から桜を移植した城跡は、明治8年(1875)城址公園となりました

この地の桜は花色の濃いタカトオコヒガンザクラという品種です。

 

  

残雪光る中央アルプスを望む

人もいっぱいいました。

タカトオコヒガンザクラは、明治8年頃から植え始め、今の老木はその頃植えられたものといわれます。

樹齢100年を越え、現在では1,500本以上になります。

 その花形は、ややこぶりで赤みを帯び、その可憐さと規模の大きさは「天下第一の桜」

と称されるほどで、県の天然記念物の指定を受けています。

中村不折像
わが国洋画界の泰斗であり、書道の権威者である中村不折は、慶応2年(1866年)に高遠に生まれました。この胸像は、不折の功績をたたえ、門人の手でたてられたものである。

広瀬奇壁 河東碧梧桐句碑

この碑の表は、元高遠町本町の商人広瀬省三郎(俳号奇壁)の句碑で遠く東の仙丈嶽を眺めて読んだもので題字の「嶽色江聲」は高遠町出身の画家中村不折の書になるものである。
斑雪高嶺朝光鶯啼いて居

裏面は河東碧梧桐の句で西方駒ケ岳の眺望を読まれたものである。
西駒は斑雪てし 尾を肌脱ぐ雲を

斑雪高嶺朝光鶯啼いて居 西駒は斑雪てし 尾を肌脱ぐ雲を