2021年4月25日
「照らす 生きた証を遺すこと」 | 佐藤慧・安田菜津紀夫妻 |
安田菜津紀写真展「照らす 生きた証を遺すこと」が新宿のオリンパスギャラリー東京にて
開催されていたので、観に行ってきた。亡くなった人たちの無言のメッセージで溢れている。
義母・佐藤淳子さんが使っていた車 | 母の遺影を持つ 佐藤慧さん |
東日本大震災。岩手県陸前高田市で手話通訳をしていた安田さんの
義母・佐藤淳子さんも、津波で犠牲になった。最初に泥の中から見つかったのは車。
淳子さんは1カ月後、川の上流で発見され、4年後、医師だった義父も亡くなる。
母の遺影を持って満開の菜の花の中にたたずむ息子・佐藤慧さんの写真である。
安田菜津紀メッセージ 東日本大震災から10年。亡くなった方々の生前の姿を伝えてくれたのは、その方が日常の中で使っていた品々や、身近な方による追憶の言葉でした。足跡をしるす何かに触れる度、その人は何を大切に暮らし、どんな生き方をしてきたのか、私自身も思いを巡らせてきました。この写真展のタイトルは、亡くなった息子さんのことを語ってくれた方の「生き方が表れていないと、死が照らし出せない」という言葉から考えたものです。展示では、東北をはじめ日本国内の取材で出会った方々の、身近な方が遺したものを写真で照らし、改めて生きた証を刻みたいと思っています。 |
安田さんが小学3年生のときに両親が離婚。母と妹と3人で暮らすことになり、
父と兄とは別々に暮らすことになる。中学2年生のときに、父が亡くなり、
戸籍を見て、父が在日コリアン2世だったことを知る。そして翌年、
兄も他界。そのころは、「家族ってなんだろう」と悩んだとのこと。父と兄、
家族なのに、かなりの距離感を置いている雰囲気を感じ取っていたよう。
展示会場風景 |
震災直後の光景や、義母が生前に暮らしていた場所、
使っていた車のナンバープレートを写した作品のほか、宮城、
福島両県で犠牲となった人々の「生きた証」を伝える写真が並ぶ。
入江杏さんと世田谷事件 | くまのぬいぐみ「ミシュカ」 |
入江杏さんは、「ミシュカの森」主宰。 上智大学グリーフケア研究所非常勤講師。
世田谷区グリーフサポート検討委員。 世田谷事件の遺族の一人。犯罪被害の
悲しみ・苦しみと向き合い、葛藤の中で「生き直し」をした体験から、
「悲しみを生きる力に」をテーマとして、行政・学校・企業などで講演・勉強会を開催。
2000年の大晦日に発覚した殺人事件。入江さんの隣に住む妹一家4人が
殺害された。いまだ犯人の特定・逮捕にいたっておらず未解決事件となっている。
グリーフケアは、「悲しみの意味」を問いかけることから始まります。悲しむことも、
誰かの悲しみに耳を傾けることも、ともに、とても人間らしいことと伝えています。
落合恵子 | 愛梨さんの妹、珠莉さん |
愛梨さんが袖を通すはずだった制服を、妹の珠莉さんが着て中学校に入学した。
汐凪さんの遺品 |
一枚の写真から思いを巡らせる。その人は、どんな人生を
歩んできたのか。なぜ死ななければならなかったのか
安田さんが指針にしている義父の言葉。安田さんが撮影した、
“奇跡の一本松”の写真が新聞に掲載され、その記事を見せにいった時のこと。
義父は「あなたのように、震災以前の7万本の松と一緒に暮らして
こなかった人たちにとっては、これは希望に見えるかもしれない。
だけど僕たちのようにここで生活してきた人たちにとっては、
波の威力の象徴みたいに見えるんだよ」といわれたとのこと。
木村紀夫さんは、娘の汐凪(ゆうな)さんを亡くした。
福島県大熊町、東京電力第一原発から僅か3キロの地点に木村さんは住んでいた
汐凪さんの遺品は帰還困難区域内のお寺に保管されている。
賢人くんの遺骨を抱く母親 | 賢人君が履いていた靴 |
小さな靴の先には、わずかに擦れた跡が残されている。1歳2か月であれば、きっとまだおぼつかない足取りで、けれども懸命に、歩く練習をしていたのだろう。 2016年3月11日、東京都内の認可外保育所で、この靴を履いていた甲斐賢人くんが亡くなった。賢人くんは別室で一人、うつぶせで長時間、呼吸を確認されないまま寝かされていたことが明らかになっている。当時の施設長はじめ、職員たちの保育経験がまだ浅かったにも関わらず、困ったときや問題が起きたときに、本社に十分に相談できる体制は整えられていなかった。 |
今回の写真展のテーマについて「遺品のメッセージを通して、
どんな人がどう生きたのか、そしてなぜ亡くなったのかを考え、
命とゆっくり向き合う空間が必要と考えた」と安田さん。
「震災10年などの『節目』で機械的に線を引いてしまうことには
違和感を覚えます。悲しみは『克服すべき課題』ではなく、
悲しみを抱きながら歩んでいくことに意味があると思っています」と話している。