都電荒川線(2) 

2016年9月19日

山に行く予定だったが、台風が近づいているということで、山に行かず、
都電荒川線に乗った。山手線の大塚駅にでて、まず大塚から早稲田まで都電に乗る。

   
早稲田駅   早稲田駅

早稲田駅から穴八幡宮を目指して歩く。

   
穴八幡宮入口正面  騎馬武者像 

穴八幡宮(あなはちまんぐう)は旧称は高田八幡宮、東京都新宿区の西早稲田に鎮座している神社で、
蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運に利益があるとされている。

<<高田馬場の流鏑馬>>の説明版
享保13年(1728)徳川将軍吉宗が世嗣の疱瘡平癒祈願のため、穴八幡神社へ奉納した流鏑馬を起源とし、
以来将軍家の厄除けや若君誕生の祝いに高田馬場で流鏑馬が奉納された。
明治維新以降中断し、昭和9年に皇太子(現天皇)誕生祝いのため再興され、数回行われたが、
戦争のため中断された。昭和39年流鏑馬の古式を保存するため、水稲荷神社境内で復活し、
昭和54年からは都立戸山公園内に会場を移し、毎年10月10日高田馬場流鏑馬保存会により公開されている。
古式豊かで勇壮な高田馬場の流鏑馬は、小笠原流によって現在に伝えられており、貴重な伝統行事である。

   
隨神門   布袋像水鉢

   
本拝殿  放生寺参道 

一陽来復とは[金銀融通の御守、冬至から節分間に授与、冬至・大晦日・節分の24寺に
恵方の反対側に祀るもの]、穴八幡宮の伝統ある特別の御守。つまり、冬至の別名。
太陽の力が最も弱った後に日々回復していくことから、冬が終わって
春になるという意味や、これから幸運が訪れるといった、ポジティブな意味合いがある言葉である。

   
放生寺本堂   馬頭観音・地蔵菩薩

放生寺(穴八幡宮の元別当寺)は一陽来福(復→福)。放生寺と穴八幡宮はもとは
放生寺と言う一つのお寺で、寛永十八年(1642年)、威盛院権大僧都
良昌上人(りょうしょうしょうにん)が、 高田八幡(穴八幡)の造営に尽力された。
放生寺はその別当寺として開創されたお寺。放生(ほうじょう)とは鳥や魚をあえて野に放って
殺生を避けて功徳を積む意味。明治元年(1868)の神仏分離令により廃絶または
分離されたため、現在では、放生寺と穴八幡宮の二つに分かれている。

   
真言宗の宗祖、弘法大師空海像  放生寺 

つまり、放生寺の、一陽来福は冬至を表す言葉「一陽来復」=陰極まって一陽が生ずると言う言葉に
「来る」年も授与された方たち全てに沢山の「福」が来る様に、「福」の字を取り「一陽来福」と名付けられた。

   
大隈講堂  大隈重信銅像 

   
 稲荷  鬼子母神本堂

早稲田駅から都電に乗り、鬼子母神駅に下りる。鬼子母神で参拝する。

   
鬼子母神  弁財天 

鬼子母神を出て、弁財天のある観静院に行った。
観光案内所で、雑司ヶ谷方面に行って、見るところを聞くと、雑司ヶ谷霊園に有名な人の
墓がたくさんあるといわれて、歩いて行った。

   
 夏目漱石の墓 夏目漱石の 

   
 竹久夢二の墓 ジョン萬次郎のお墓 


   
   島村抱月の墓

   
 川口一族の墓 サトウハチロー の墓

小説家で劇作家、映画の脚本家でもあった川口松太郎とその奥さんの女優の三益愛子さん、
長男の俳優だった川口浩さん、その奥さんの野添ひとみさんがここで眠っている。

   
 荻野吟子 富士山の写真がついた墓 

雑司ヶ谷から都電に乗り、終点の三ノ輪まで行き、商店街で、焼き鳥などを買い、食べ歩きをして、
昼はそばを食べる。再度、都電に乗り、飛鳥山駅で下りる。

   
 桜の賦(ふ)の碑  豊島郡衙正倉

王子駅で下りて、アスカルゴに乗って、飛鳥山公園に出る。
飛鳥山は八代将軍徳川吉宗の命によって享保5年(1720)から翌6年にかけて、桜が植えられ、
享保18年には桜が根付いて花を開かせるようになり、水茶屋が10ヶ所建てられ、江戸市民の行楽の場となった。
 桜の賦(ふ)の碑は、佐久間象山の作である「桜賦」の詩歌が刻まれている。碑にしたのは門弟の勝海舟。
飛鳥山博物館は北区や近隣地域の風土や歴史を学べる博物館。常設展示は、
大地・水・人を基本的なコンセプトとして、テーマごとに北区についての展示が行われている。
豊島郡衙正倉は奈良平安時代の米を収めた倉を復元している。

   
貝塚   縄文人の人骨

   
竪穴住居の一部を実物大で復元   道標「王子稲荷大明神」の複製品

   
倉庫   花見弁当

飛鳥山の花見のお弁当。飛鳥山は、八代将軍吉宗が、桜の木を千本も植えて、庶民に開放した。

博物館を出たら、5時近くになっており、古墳を探したが、柵で閉まっており、中には入れなかった。

   
 平和の女神像  都電

「平和の女神像」は、、1972年の日中国交正常化を記念して建立されたものとのこと。
帰りは王子から都電に乗り、大塚駅に出て、調布で打ち上げを行う。