日光東照宮 

2019年4月27日

   
 浅草駅 スペーシア 

家族旅行で、日光、鬼怒川に行った。浅草駅で、スペーシアに乗り、日光駅で下りる。

   
 スペーシア 東武日光駅 

日光駅からバスに乗り、東照宮入口まで行く。最初、二荒山神社の方に行く。常行堂があった。

   
常行堂   日光山輪王寺大猷院仁王門

常行堂は、嘉祥元年(848年)に慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって、
比叡山延暦寺の『にない堂』に模して建立された。見学ができたので、中に入った。
純和様の宝形造(ほうぎょうづくり)で、隣の純唐様の法華堂(ほっけどう)との間に、歩廊がある。

輪王寺とは15の寺院の総称。1871年(明治4年)には、明治政府による神仏分離令によって
輪王寺の大伽藍は解体されて集約される。大猷院とは徳川三代将軍「家光公」の廟所(びょうしょ)
(廟所=墓所)で、境内には世界遺産に登録された22件の国宝、重要文化財が建ており、
315基の灯籠(とうろう)もあるとのことだが、今回は見学しなかった。
仁王門は、1つ目の門で、口を開いた「阿形(あぎょう)」と口を閉じた
「吽形(うんぎょう)」2体の仁王像「金剛力士像(こんごうりきしぞう)」が安置されている。

   
 むすび大国 二荒山(ふたらさん)神社 

二荒山(ふたらさん)神社は、日光東照宮の西奥に鎮座している神社で、
日光山内と言われている日光の社寺の中では、一番奥にある神社
奈良時代の天応2年(782年)勝道上人によって開かれた神社で、親子三神を
御祭神として大己貴命、妃神の田心姫命、御子神の味耜高根彦命が祀られている。

   
 二荒山(ふたらさん)神社 五重塔 

東照宮という名称は、家康が朝廷から「東照大権現(とうしょうだいごんげん)」という神の名を
おくられたことに由来する。家康は江戸幕府の守護神として、あがめられることになったのである。

   
 三猿  子猿を抱いた母猿

「神厩舎(しんきゅうしゃ)」と呼ばれる神馬の厩(うまや)の屋根下に、有名な「三猿」の彫刻がある。
正面と側面合わせて8枚の彫刻が施され、人の一生を描いているといる。
「見ざる・言わざる・聞かざる」。悪いことは見ない、言わない、聞かないという、親から子どもへの躾を表しているそうだ。
子猿を抱いた母猿が手をかざし、遠くを見詰めている。子どもの将来の幸せを願う親の心を表現している。

   
   
   
   陽明門

陽明門は12本の柱で支えられる12脚門で、うち1本だけほかの柱と渦巻の紋様が
逆さになっているのが「魔除けの逆柱」。これは、完成すれば即崩壊が始まるとの
古事から、門がいまだ未完成だと表すためにわざと逆にしたというのが通説。

   
随身像(口で撮影)  陽明門の随身像(出口で撮影) 

陽明門の左右に鎮座する随身像(ずいしんぞう)門番として安置している。
随身姿の守護神象である。徳川家の葵紋ではなく、「木瓜(もっこう)」という家紋を持つ。

   
赤と白の「唐獅子(からじし)」   唐門

唐門は奥にある本社を守る重要な門で、江戸時代には身分の高い幕臣や大名しか
くぐることが許されなかったという。唐門の奥には「本殿」があり、靴を脱いで見学(撮影禁止)。

   
 眠り猫 眠り猫 

眠り猫は、左甚五郎作と伝えられている。牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねを
しているところから「日光」に因んで彫られたとも言われている。家康公の眠る墓所
「奥宮」に通じる「東回廊潜門(ひがしかいろうくぐりもん)」の上部に刻まれている。

   
 御本社  奥宮

   
 「御宝塔」(御墓所) 八乙女

神楽殿 (かぐらでん)とは神社の境内で神楽を奏するために設置された場所。
例祭などでは蔀戸が大きく開き吹き放ちとなり八乙女による神楽が奉納されるようである。
寛永12年(1635)に建てられたそうで、幅、奥行きともに3間四方(1間=約1.8メートル)の
入母屋造りで、内部は2室に分かれている。北向正面の前2間分は舞い舞台、
後ろ1間分は装束の間、謂わば、準備のための楽屋になっており、背面は廻廊に接している。
舞台の上で八乙女(やおとめ)が神楽を舞い、現在の東照宮には八乙女の職制はなく、
大祭のときには二荒山神社から手伝いにきてもらうらしい。

   
   石鳥居

本地堂に入り、鳴き龍の音を聞く(撮影禁止)。案内役が拍子木を打って「びょーん」との反響音がなる。
石鳥居は、遠近法で鳥居が高く見えるよう、石段は上に行くほど幅が狭く、一段の高さも低くなっている。

   
表参道から奥に見える石鳥居   勝道勝人像

日光山は天平神護二年(766年)に勝道上人(しょうどうしょうにん)により開山。
以来、平安時代には空海、円仁ら高僧の来山伝説が伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の
寄進などが行われ、関東の一大霊場として栄えた。江戸時代になると家康公の東照宮や、
三代将軍家光公の大猷院廟が建立され、日光山の大本堂である三仏堂と共にその威容を今に伝えている。

   
神橋(しんきょう)   

神橋は、日光二荒山神社の建造物で、聖地日光の表玄関にある朱塗に映える橋。
橋の長さは28メートル、巾7.4メートル、水面からの高さは10.6メートルで、国の重要文化財に指定され、
1999年には世界遺産に登録された。山間の峡谷に用いられたはね橋の形式としては唯一の古橋で、
山口県錦帯橋、山梨県猿橋と並び日本三大奇橋の一つとされている。
着物姿の方が歩いていたので、橋に合っていた。

   
神橋  橋から戻る。 

橋を渡った人も、橋は渡れないので、戻ってきていた。

   
神橋庵   ゆばそば

神橋庵で、ゆばそばを食べる。日本酒も飲む。

   
神橋庵