東京国立博物館で、レオナルド・ダ・ヴィンチの特別展が開かれ、もんちゃんと一緒に出かけた。
初期の傑作「受胎告知」が展示してあった。レオナルドは、絵画にとどまらず、
天文学、物理学、解剖学、建築学などの多彩な分野に関心を広げ
膨大な手稿も残してあり、映像や模型等をつかって、今回の展示で紹介もされている。
レオナルド・ダ・ヴィンチの多彩な世界を解き明かす試みが行われていたのである。
展覧会を観終えて、上野駅周辺を歩き、アメ横を通り、御徒町まで出て、JRに乗った。
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受胎告知
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「受胎告知」は20代初めのレオナルドが描いた実質的なデビュー作である。
受胎告知は、キリスト教の新約聖書に書かれているエピソードのひとつであり、
天使ガブリエルが、精霊により、マリアがキリストを身ごもることを告げている。
空気遠近法で、背景の山は青白くかすんで見え、人物は左右対称のシンメトリックな構図になっている。
マリアやガブリエルの巻き毛の見事さ、木や草、花、空、雲など細やかに描かれ、
洋服のひだやじゅうたんの傷まで良く見ると繊細に描写されていた。
「受胎告知」の前に長い列が出来ていて、ゆっくり観ることが出来なくて、ダヴィンチの展示館を見た後、
再度観た。出るときに招待券をいただいた学芸員のまきくまさんにも会えて、話が出来た。
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桜の下、花見の人々でにぎわっていた
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彰義隊の墓
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彰義隊の墓
15代将軍徳川慶喜の一橋藩主時代の側近家来であった小川興郷(おきさと)らは、慶応4年(1868)大政奉還をして上野寛永寺に蟄居(ちっきょ)した慶喜の助命嘆願のために同志をつのった。そこには徳川政権を支持する各藩士をはじめ、新政府への不満武士、変革期に世に出ようとする人々が集まり「彰義隊」と名乗り、やがて上野の山を拠点として新政府軍と対峙した。旧暦5月15日の上野戦争は、武力に勝る新政府軍が半日で彰義隊を壊滅させた。 生き残った小川ら隊士は、明治7年(1874)にようやく新政府の許可を得て、激戦地であり隊士の遺体の火葬場となった当地に彰義隊戦死の墓を建立した。なお、遺骨の一部は南千住円通寺内に合葬されている。以後、120年余りに渡り、小川一族によって墓所が守られてきた。現在、歴史的記念碑としてその管理は東京都に移されている。 |
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西郷隆盛像
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アメ横も人でごった返していた
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