碓氷峠 

2015年6月15日

職員旅行で、伊香保温泉に泊まって、次の日の午前中にしんとうワイナリーの見学をし、試飲をした。

昼にドライブインで、「峠の釜めし」を食べて、午後、碓氷峠に行った。

   
 碓氷峠の釜めし おぎのや 釜めしの定食 

   
 釜めし  碓氷峠鉄道文化むら

碓氷峠鉄道文化むらは、碓氷峠の鉄道の歴史を展示する鉄道資料館、実際に乗車できるSLや鉄道模型、野外展示ゾーン

には蒸気機関車や電気機関車などがずらりと並んでおり「見て、触れて、体験できる」をテーマに平成11年に整備された。

また、遊歩道アプトの道と平行して「文化むら」から「峠の湯」間をトロッコ列車が走っていたので、乗ることが出来た。.

   
 碓氷峠のトロッコ列車始発駅  新幹線用軌道保守点検車(GA-100)

トロッコ列車シェルパくんは、片道2.6kmを20分で走る峠の観光列車。

   
トロッコ列車シェルパくん  車内 


日本で最初に電化されたという、当時の最高の技術を注ぎ込まれた碓氷線を辿ることが出きるということである。

   
  碓氷峠で活躍したEF 63形機関車

   
一直線の線路  旧丸山変電所 


   
まるやま駅  旧丸山変電所 

旧丸山変電所は、明治45年横川〜軽井沢間の電化に伴い建設された施設。横川側の建物は蓄電室、

軽井沢側が機械室の2棟の建物になっている。昭和38年新線開通とともに役目を終える。平成6年国の

重要文化財に指定され、平成12年復元工事が実施された。現在見学は外見のみで、中の公開はしていない。

   
 まるやま駅  車窓から碓氷峠の景色

   
旧信越本線から別れ、終点のとうげのゆ駅に入る。  とうげのゆ駅 

   
とうげの駅で降りて、近くを散策  シェルパくん 

   
帰りの列車の中からアプトの道を歩く人たち   アプト式鉄道

 碓氷峠鉄道文化むらに戻り、見学して回った。

碓氷峠鉄道文化むらのある「碓氷峠」に通っていた旧碓氷線、横川−軽井沢間の歴史は、日本初のアプト式鉄道の導入や、

日本初の幹線電化など、日本の鉄道史にとっても、とても重要な意味を持っているとのこと

明治26年(1893年)、トンネル数26、レンガ造りの橋梁18を要する難工事の末、悲願の横川―軽井沢間が開通。

最大66.7パーミル、標高差553mの急勾配を走ることになったのは、ドイツから輸入したアプト式蒸気機関車3900形で、

横川―軽井沢間を約80分で結んだ。そして、アプト式から粘着運転方式にすることで輸送力の改善を図ることになる。

そして昭和41年(1966年)には、複線化が完了。碓氷峠専用の補助機関車(補機)、EF63形電気機関車や、信越本線用

本務機のEF62形電気機関車により、横川−軽井沢間の所要時間は登り17分、降り24分と大幅に短縮されることになった。

   
 鉄道展示館とあさま号  

貨物輸送は徐々に篠ノ井線や中央本線、上越線経由となり、昭和59年(1984年)貨物列車が廃止になる。

そして、平成9年(1997年)には長野新幹線が開通。路線を維持するだけの旅客数が見込めないことや維持に多大な

費用がかかることから廃線となった。こうして104年の歴史に幕を閉じ、この「碓氷鉄道文化むら」が開村した。

   
手こぎトロッコ  鉄道の操縦席 

   
 ジオラマ 清水寥人(しみず りょうじん)文学碑 


「清水寥人文学碑」は、SLの動輪をイメージしたモニュメント。小説「機関士ナポレオンの退職」の一節が刻まれている。

 清水寥人は、群馬県碓氷郡松井田町(現在は市町村合併により安中市)生まれ。 鉄道教習所卒業。

第50回芥川賞にノミネートされた。 国鉄職員として機関士の業務に従事しながら、創作活動を行っているということで話題を呼んだ。

実生活に裏打ちされた重厚な文体で知られた。1960年、「機関士ナポレオンの退職」を発表。

   
蒸気機関車の展示  ミニSL 

   
 みにSLに乗る。 SLの前で記念写真を自撮