宇都宮城 

2018年7月6日


   
宇都宮餃子と豚骨ラーメン   宇都宮城址公園入口

鬼怒川で研修があり、終わった後に、宇都宮城に寄る。途中、宇都宮餃子を目指し、昼に食べる。
宇都宮城址公園は、江戸時代中期の宇都宮城本丸の一部が復元された公園。
堀や土塁、2基の櫓などがあるほか、宇都宮城の歴史を伝えるガイダンス施設がある。
ガイダンス施設に入って、ガイドさんに説明を聞いた。

宇都宮城を築いたのは、藤原秀郷とも藤原宗円とも言われており、時代は平安時代後期と
考えられている。中世(鎌倉時代から戦国時代)の城主であった宇都宮氏は、鎌倉幕府の
有力な御家人であるとともに、京都ともつながりが深く、5代頼綱(よりつな)(蓮生・れんしょう)は
百人一首の成立にも深くかかわっていた。約500年間宇都宮を支配してきた宇都宮氏は、
豊臣秀吉に滅ぼされ、近世(江戸時代)には譜代大名の居城となった。その中でも
本多正純(ほんだまさずみ)は、城と城下町の大改造を行い、今日の宇都宮の中心市街地の骨格を作り上げた。
また、「鳥羽伏見の戦い」以降、薩摩・長州を主軸とする新政府軍に負け続けた旧幕府軍。
そんな中、旧幕府軍が初めて新政府軍に勝利したのが、土方歳三率いる「宇都宮城の戦い」である。
関東の名城・宇都宮城をわずか6時間で攻め落としたのである。しかし、その後、新政府軍は頑強に抵抗する
旧幕府軍を大砲で攻撃。宇都宮城は炎上をする。土方はここで足を鉄砲で撃ち抜かれてしまう。
洋装するなど近代を意識していた土方だったが、どこかで、刀で切り込んでこそという考えを持っていたようだ。
最新式の銃をそろえる新政府軍に次第に追い詰められていく旧幕府軍。宇都宮城を捨てて日光方面へと退却する。

   
釣天井事件の説明   富士見櫓

宇都宮城にまつわる逸話として、釣天井事件が伝えられている。元和8年(1622年)、
本多正純が御成御殿に釣天井を作って徳川将軍暗殺を企てたというもの。
しかしこれは事実ではなく、正純が出羽国へ流罪となったことから創作されたものといわれている。
土塁上は歩けるようになっており、清明台と富士見櫓という2つの櫓が再建されている。
本丸には徳川将軍の日光社参のための宿泊所、御成御殿が設けられていた。
そのため、将軍を見下ろしてしまうのは不敬にあたるとの考えから、
本丸を囲む土塁上に築かれた櫓の内側には窓がなかった。

   
 清明台櫓  宇都宮城址公園看板

将軍が日光にお参りする日光社参(にっこうしゃさん)。宇都宮城は将軍の宿泊場所となり、
本丸には将軍のための御成御殿(おなりごてん)が建てられた。
宇都宮城は1868年の戊辰(ぼしん)戦争で建物の大半が焼失した。堀も次第に埋められて、
当時の面影をしのぶものはほとんどなくなった。

   
   

 
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