和歌山城
2022年8月18日
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奈良駅 |
新今宮駅 |
奈良駅から新今宮駅で乗り換え、南海電鉄に乗り、和歌山市駅まで行く。
特急電車になっていたので、座先指定券(520円)を券売機で買ったが、
自由席もあった。指定席はガラガラだったので、ゆったり座ることができた。
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特急「サザン」10:22新今宮発 11:18和歌山着 |
和歌山市民図書館 |
和歌山市図書館の中に観光案内所があって、いろいろと説明をしていただいた。
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山為食堂 |
和歌山ラーメンのおいしい店として、「山為食堂」と「まるイ 十二番丁店」が紹介された。
「山為食堂」は、たくさんの人が並んでいたの、あきらめて「まるイ 十二番丁店に行く。
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まるイ 十二番丁店 |
和歌山ラーメン |
まるイ 十二番丁店のラーメンはネギが山盛りであった。
麺は自家製、のびにくく、コシのある風味豊かなオリジナルの麺。
スープは、良質な豚骨だけを贅沢に使い、13時間以上煮込み、
熟成のコク旨スープ。ラーメン750円は大量のネギで有名。
下にチャーシューとモヤシが隠れてる。麵大盛りで食べる。
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わかやま歴史館 |
和歌山城は、天正13年(1585)に紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まり。
その築城を担当したのが、築城の名人藤堂高虎(とうどうたかとら)。
秀長の城代として桑山重晴(くわやましげはる)が入り、慶長5年(1600)には、
関ヶ原の戦いで功をたてた浅野幸長(あさのよしなが)が入城。
元和5年(1619)には徳川家康の第10男・頼宣(よりのぶ)が入城し、
紀州55万5千石の城となり、以来、徳川御三家のひとつとして、長い歴史を刻む。
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茶室「実際庵」 |
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原寸で復元された10代藩主徳川治宝時代の茶室「実際庵」
天守閣は和歌山大空襲で焼失したが、市民の熱い要望で1958年(昭和33年)に、鉄筋コンクリートで再建。
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紀州徳川家伝来の金印 |
西之丸庭園 |
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「西之丸庭園(紅葉渓庭園)」の門 |
石垣 |
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二の丸 |
二の丸 |
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伏虎像 |
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伏虎像 |
和歌山城公園(和歌山県和歌山市)内にあるコンクリート製の虎の像です。和歌山県伊都郡花園村(現 かつらぎ町)出身の工芸作家角田蘇風が制作しました。和歌山城が築城された山は、遠くから見ると伏せた虎の姿に似ているとのことから、「虎伏山」と呼ばれています。この虎の像が伏せているのは、この山の名前に由来しています。
実は、現在の虎の像は2代目で、初代の像は立ち姿の銅像でした。しかし初代の像は、戦時中の金属供出により失われました。戦災で失われた和歌山城天守閣が昭和33年にRC造で再建されたのと同様に、虎の像も今度は伏せた姿でよみがえったのです。 |
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大天守 |
西の丸に再建された三重三階の大天守に小天守と櫓、二の門と多聞櫓が連立式で結ばれているのが特徴。
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天守閣模型 |
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乾櫓と紀ノ川 |
小天守と遠方に和泉山脈 |
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天守曲輪と紀ノ川 |
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ジオラマ |
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天守、小天守から乾櫓までを、渡り櫓となる多門櫓によってつなぎ、
内部で往来が可能となっている。ぐるっと回ることができた。
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穴蔵 台所と井戸をつなぐ |
楠門 |
台所内には、今も穴蔵に降りる薄暗い石段があります。連立する建物の中で
最も不気味に思える場所で、その雰囲気から脱出口などと語られたりします。
古墳の石室を思わせるその穴蔵に降りると、岩盤をくり抜いて確保した空間で、
高い掘削技術に驚かされます。また、天守曲輪が岩盤の上に築かれていることを
知る場所でもあります。この穴蔵は、井戸に通じる大切な秘密の通路で、
籠城の際、敵に見つかることなく台所に水を運ぶことができるように造られていたのです。
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和歌山城 |
和歌山城 |
白亜の天守閣。これまで何度も焼失を繰り返したが、昔の設計図や古写真を参考にして
三重天守を再建。現在の天守は1958年(昭和33年)に鉄筋コンクリートで外観を復元している。
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駅弁 |
新幹線から富士山を望む |
帰りは、JR奈良駅から新大阪にでて、駅弁を買って、新幹線「のぞみ」に乗って、帰路に着く。