2025年8月19日
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| 蓄電池電車EV-E801系 「ACCUM」(アキュム)の愛称 |
なまはげの顔イラスト |
秋田駅で、荷物をコインロッカーに預けて、JR男鹿線に乗る。
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| 脇本城跡入り口 | 入口の鳥居 |
天気予報では、この日は秋田は雨予報だった。
天気も心配だったので、脇本駅でタクシーに乗り、脇本城跡まで行く。
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| 脇本城跡 説明文 | 菅原神社の鳥居 |
脇本城跡は、安東氏の一族安東愛季(ちかすえ)が安土桃山時代の
天正5年(1577年)に大規模な修復を行って、居城とした城であるといわれている。
その後、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による奥州仕置から、1602年(慶長7年)の
佐竹氏による久保田城築城の間に、廃城になったと思われる。
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| 脇本城跡案内図 | 城の中心地区「内館(うちだて)」主郭部をのぞむ |
国道101号線沿いの登城口から徒歩で5分ほどで脇本城跡案内所に着き、スタンプを押す。
男鹿半島の南側付け根部分に位置し、眼下には日本海をのぞむ好立地。
| 脇本城について |
| 脇本城跡は、男鹿半島南側の脇本地区に位置する中世の城跡です。日本海に突き出すようにそびえる標高100mの丘陵地に位置し、自然地形を巧みに利用しつつ、大規模な造成をして整備した中世・戦国のいわゆる「土づくりの城」です。その築城年代は明らかではありませんが、出土遺物の特徴などから、15世紀にはすでに城として機能していたと考えられます。 石垣や天守をもつ城に比べると見た目は少し地味ですが、築城数百年を経てもなお、当時の面影を偲ばせる遺構の数々は、その残存状況のよさからも当時の土木技術の高さをうかがわせます。 城のある丘陵地の面積は約150ha(1,500,000u)で、秋田県能代市の檜山城、福島県会津美里町の向井羽黒山城、東京八王子市の八王子城など、東日本を代表する城と比較しても勝るとも劣らない規模を誇ります。 |
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| 天下道 | 城跡 |
「天下道」とは、城内を通る「男鹿半島」への通行路で、江戸時代には
「久保田藩主」が「男鹿」への行き来に使用され、明治時代まで利用された道のようだ。
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| 南側の日本海 | 西側の日本海(船川、男鹿方面) |
頂上の郭からは日本海と八郎潟平野を一望できる。
戦国大名がこの地を選んだ理由に思いを馳せることができる。
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| 西側土塁 | 南端の曲輪 |
曲輪の西側には土塁が続いており奥の南端の曲輪に続いている。
各曲輪の間に段差があり、段郭式山城という。
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| 西側の土塁と南端の曲輪 | 館群(北方向) |
手前と奥の平地(曲輪)の間に段差がある。奥には日本海。
曲輪と呼ばれるその平坦部には建物や柵の跡などが見つかっており、
山を切り拓いた当時の人々の技術を感じることができる。
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| 東端の曲輪から城下町(脇本本郷) | 脇本城跡 |
戻りもタクシーを呼んで、脇本駅まで乗る。
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| 脇本駅 |
男鹿線は毎時一本程度しか運行していない。
脇本城から降りてきて、時間を調べたら、あまりないと思い、タクシーを頼む。
しかし、その時間は男鹿行きであった。秋田行きは時間を結構待つことになった。
そのため、せっかくだからと男鹿駅まで行く。
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| 男鹿駅 | なまはげ |
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| JR男鹿線 |
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| 道の駅おがオガーレ |
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| 津波避難棟 |