府中 流鏑馬 

2015年6月7日

府中で映画「イニシエーションラブ」を見た後、府中本町に向かおうとしたら、

大國魂神社参道で、流鏑馬の他、鷹匠が鷹の放鷹が行われることがわかって、見ることにした。

開始までにたっぷり時間があったので、しばらく座って待つ。人がどんどん集まってきた。

大国魂神社では、昭和初期まで流鏑馬が奉納されていたとされ、2012年に住民らの手で復活。

かつて国府が置かれていた歴史なども併せて知ってほしいと、流鏑馬のほか、ワラを真剣で切る

居合抜刀武術の演武や、タカを思い通りに操る鷹匠たかじょうの技も披露された。

   
 本番前の馬たち 本番前
  1. 流鏑馬(鏑流馬、やぶさめ)とは、疾走する馬上から的に鏑矢(かぶらや)を射る、日本の伝統的な騎射の技術・稽古・儀式のことを言う。
  2. 馬を馳せながら矢を射ることから、「矢馳せ馬(やばせうま)」と呼ばれ、時代が下るにつれて「やぶさめ」と呼ばれるようになったといわれる。

流鏑馬には幾つかの流派があり、ここで出ていたのは戸山流であるらしい。、名の通った鎌倉鶴岡八幡宮の流鏑馬は

武田流とのことである。府中で流鏑馬の指揮を執るのは、旗谷嘉辰(はたやよしとき)氏。

氏はNPO法人全日本戸山流居合道連盟会長でもある。 流鏑馬に先立って戸山流抜刀術の試斬演武が執り行われた。

戸山流というのは、戦前陸軍の将校が教育を受けた戸山の中野学校で行われた実戦刀術から始まったものである。

戦後の抜刀道を主導した中村泰三郎先生が流儀とされた流派である。

   
馬  鷹匠 

   
 鷹匠とMC  鷹匠

   
 鷹匠とMCと記念撮影 四半的弓道試技 

J:COM11chで放送「ジモトピ府中・小金井・国分寺」の取材できていた。MCは鈴木梢という女性である。

   
 四半的弓道試技の的  鷹匠

鷹匠の鷹を近くで見ることが出来た。鷹は敏感な鳥で、鷹を操る人形も緊張していては、

それが伝わってしまうので、自然に触れ合えるようになれなければならないとのこと。

人間に躾けられた鷹は、野生の鷹にはかなわないことも話されていた。

   
 ケヤキ  武者行列の待機

   
 鷹  鷹

   
 l鷹が羽を広げる 流鏑馬の準備 

   
   

   
   

   
 輪乗り   輪乗り

射手(いて)の方と馬は横の広場で輪乗り。的の前では古武術演武。

   
  輪乗り  

   
 武者行列に子どもたちも参加 着物が華やか 

   
 鷹匠の人たち ゆるきゃら「フーちゃん」と「ふちゅうこま」 

   
 観客がいっぱい 流鏑馬開始 

居合抜刀術が披露されていたが、離れた場所にいたので、ほとんど見えなかった。

鷹の放鷹の時もほとんど見えなかったが、鷹が上に飛んで行ってしまったアクシデントが起きた。

鷹が上に飛んでいって木の上で休んだまましばらく降りてこなかったのである。

鷹は必ず戻るので安心ではあるという説明だったが、そのまま逃げてしまうのではないかと不安でもあった。

流鏑馬開始に当り、練達の射手による鏑矢が神社の森に射ち込まれる。

 古来より、鏑矢の射ち込みは戦闘の開始を告げる合図であった。

   
   

参道に沿って設けられた馬場は本来より50メートルほど短く、従って三つあるはずの的も二つしかない。

五人一組で、二組の射手が参加。予選の後に決勝が行われる。

   
   

射手が、飾りをつけた馬に跨り、侍烏帽子を被り、直垂姿に鹿皮の行縢(むかばき)を腰に付け、太刀を佩き、

矢の入った箙(えびら)を背負い、弓手に弓を携えてしずしずと馬場を歩んでその凛々しい武者姿を披露する。狩装束姿である。

   
   

   
   

   
   

決勝では、的が小さくなり、板的となる。女性射手が二人も残っていた。女性が残ると華やかである。

   
   大会を終えて