薬師岳  2926m  

2007年8月16日

8月15日から18日まで、職場の山仲間のモンちゃんと薬師岳縦走をした。薬師岳登頂は16日である。

14日に富山に行き、15日にバスで折立まで。そこから登り始め、薬師峠、スゴ乗越、

五色ヶ原でそれぞれ幕営し、18日に室堂に下りて、帰路に着いた。

薬師岳は山容が大きく、氷河地形の圏谷群でも有名な山であり、歩きながら、実感が出来た。

日本百名山の深田 久弥氏は、薬師岳を「その重量感のあるドッシリした山容は、

北アルプス随一である。ただノッソリと大きいだけではない。厳とした気品もそなえている」と書いている。

15日
07:20 折立登山口
08:50 三角点
10:30 五光石ベンチ
11:40〜12:45 太郎平小屋

16日
05:00 薬師峠天場
05:40 薬師平
06:30 薬師沢小屋
08:00〜08:45 薬師岳
09:45〜10:15 北薬師岳 
11:40 間山
12:30 スゴ乗越小屋



17日
05:05 スゴ小屋出発
05:45 スゴ乗越
06:45 スゴの頭
08:40 越中沢岳
11:05 鳶山
12:15 五色ヶ原天場

18日
05:00 五色が原出発
05:35 ザラ峠
06:55 獅子岳
10:50 浄土山
11:30 みくりが池温泉
 
薬師岳山頂より剱立山の展望

14日の午後1時15分池袋発のバスに乗り、富山に夜7時45分に着き、前泊した。

高速バスは、関越道から信越道に出て、日本海側を回り、富山駅に着いた。

その日の夕食は富山駅前の「かに平」という店で、かにわっぱめしを食べた。

明日からの縦走に備えて、ささやかな贅沢をしたのだった。

高速バスより能登半島に沈む夕日
かにわっぱめし

翌朝、富山から折立までバスで行き、途中、バスは2回ぐらい休憩をし、有峰湖にもよった。

有峰湖
折立登山口

登山口から登りだすと、じきに慰霊碑がある。1963年1月、三八豪雪と言われた冬に、

愛知大学山岳部員が薬師岳頂上近くで東南稜に間違って入り、13人という歴史に残る

大量遭難した学生達の慰霊碑である。”十三重之塔”と称されていた。

この事故の教訓で、富山県では山岳警備隊を結成し、全国初の”登山届出条例”を制定することとなったといわれている。

十三重之塔
石畳を歩く

折立から樹林の中を歩き、途中から太郎平小屋まで石畳や木道が整備されて、

続いていたが、意外に重い荷物もあって、足の負担は大きい。

薬師岳が雲の合間から見えてくる
太郎平小屋

モンちゃんとは初日で、薬師沢や薬師岳まで出来れば行こうという話をしていたが、

モンちゃんが太郎平までで、この暑さと重い荷物で、ばててしまい、

途中で、歩みが遅くなり、太郎平からは進めなくなり、先に行ってくれといわれる。

しかし、今日はここまでにして、薬師峠でテントを張ることにした。しばらく太郎平で休憩をし、

すぐ下の薬師峠のキャンプ場にテントを張り、荷物を置いて、また太郎平小屋まで戻り、ビールを飲んで、まったりする。

隣でテントを張った二人連れの方は、これから薬師岳まで往復してきますと出かけた。

一人で愛知から来ている方もいて、ここで、テントを張って、明日、薬師が岳、明後日、黒部五郎に登るという。

テント場をベースにして登るのも動きやすくて効率的とも思った。

早い時間から寝る準備をし、シュラフに入ったが、なかなか眠りにつけず、寝たと思ってもすぐに目が覚める。

空を見上げると、満点の星。しばらく眺めていた。時々流れ星も流れていて、見入っていた。

水晶岳から鷲羽岳の稜線

(太郎平小屋からの眺め)

天場がみえる

天場の起床は早い。3時頃から動き出す人がおり、我々も動き出して食事を軽くして、

5時には動き出した。最初はガスっていたが、だんだん雲が取れてきて、薬師平あたりに

くると、槍ヶ岳などの山が見えてきて、それからは振り返りながら展望を楽しんで歩いた。

薬師平から
薬師岳に向かう

薬師平に着くと、槍ヶ岳がしっかり見えた。その先に行くと、富山からのバスで一緒だった方が、すでに薬師岳に

前日の午後に登って、下りてきた。今朝は展望がよいから頂上は今日の方が良いかもしれないですねと言われる。

黒部五郎岳
薬師岳方向

薬師岳のカールの標示石
黒部五郎岳

薬師岳のカール

薬師岳はほぼ南北に連なる稜線になっている。東側を平行するように黒部川が流れている。

東南尾根から北薬師岳に続く稜線の東側にカールが3つ並んでおり、東南カール、中央カール、

金作谷カールとそれぞれ呼ばれて、全体が「薬師圏谷郡」という名称である。

薬師岳は日本海からの季節風のため冬は大雪に見舞われ、猛烈な風が吹き、

その結果稜線の西側が雪が吹き払われ、東側が谷頭の部分に堆積することになり、

溶けずに氷河に発達し、カールの地形が出来上がってきている。

薬師岳山荘をふりかえる
黒部五郎の左向こうに笠ヶ岳、焼岳、右に乗鞍

ケルン
山頂までの尾根道

ケルンは愛知大学の遭難碑だそうである。このあたりから東南稜の尾根に入ってしまい、大量遭難をしたのである。

遭難者の方々のご冥福をお祈りして、合掌。

カール
山頂

頂上では360度の展望である。剱、立山、槍ヶ岳など名だたる山を始め、赤牛から水晶、鷲場につながる稜線や白山も見えた。

槍ヶ岳
金作谷カール

山頂での展望をしばらく楽しんだ。

山頂にて
水晶岳と右奥に槍ヶ岳

中央カール(立山方向への尾根)
薬師岳と白山方向

水晶岳への稜線
薬師如来がガラスに納められていた

薬師岳は薬師如来の浄土しての信仰の山であり、薬師如来像も奉ってあった。

歩いてきた道を振り返る
剱岳

剱・立山を背に
薬師峠を振り返る

金作谷カールと薬師岳
北薬師岳

北薬師の山頂標識には「ここで雨なら稜線風雨 荒天時薬師越えは無理」と書かれている。

どちらにしろ、このコースはエスケープルートがない稜線で、天候が崩れたら厳しいと思われた。

赤牛岳から水晶岳への稜線

北薬師岳
槍ヶ岳

立山方向への稜線
非対称山陵

北薬師から間山近くに行くと、ここでも山陵が非対称になっていた。

山陵の西側(右側)は、強風にさらされるので、雪は吹き飛び、東側(右側)は

雪の吹き溜まりになり、氷河が発達し、斜面がえぐれたようになっている。

ニッコウキスゲ
スゴ乗越のテン場

スゴ乗越小屋までアップダウンがあったり、肩が痛くなったり、なかなか着かない。

やっと、小屋に着くと、ビールが冷やしてあったので、早速買って飲む。

水自体があまり冷えていなかったので、ビールもあまり冷えていなかったが、おいしかった。

スゴ乗越小屋
右からスゴの頭、越中沢岳

次の日もスゴ乗越からスゴの頭、越中沢岳を越えていく。アップダウンを繰り返すことになる。

赤牛岳
裏銀座方向

間山方向を振り返る
スゴ乗越

スゴ乗越小屋からスゴ乗越までは急な下りである。スゴ乗越からスゴの頭までは登り返していく。

スゴ乗越では薬師岳は間山や北薬師岳に隠れて見えないが、スゴの頭の高さになっていくと

薬師岳の姿が見えてきた。

スゴの頭の手前に荷物を置いて、スゴの頭まで歩く。このときは、荷物を持たないで歩くのがいかに身軽なのかを感じた。

その後もアップダウンがあり、重いテントの荷物が応えて、きつい。鍛えられる。

薬師岳方向

右から間山、北薬師岳、薬師岳

赤牛岳から水晶岳の稜線

前日に、薬師岳山荘の方に、日本海側に見える山が、埋蔵金伝説のある鍬崎山であることを教えていただく。

鍬崎山は佐々成政が秀吉に攻められる前に百万両のお金を隠したとされる埋蔵金伝説のある山なのだ。

越中沢岳
鍬崎山と日本海

越中沢岳
ガスっている鳶山方向に向かう

越中沢岳からも針の木方面がみえるはずなんだが・・・

黒部湖方向
学生が凧を飛ばしている

今回は大学生のグループが7人ぐらい、同じテント場で泊りながら、同じコースを歩いていた。

途中で、凧を飛ばしながら楽しんでいた。そのグループは、剱まで行くといっていた。

越中沢岳から鳶山に向けての縦走路は、展望が良いはずだが、完全にガスに囲まれて、展望は見えず。

鳶山は、五色が原の展望台といわれるぐらいだが、これも見えず。

鳶山
五色ヶ原の木道を歩く

五色ヶ原山荘
五色ヶ原の天場

右に針の木岳

五色ヶ原に着き、ビールを飲んで、休んで、さあーテントを組もうとすると、雨が降り出してきた。

小屋の人も天気が崩れそうであると言われたので、今日は小屋どまりにしようかとモンちゃんと

話をしていたが、なんとなく、テント場に行き、雨のテントも経験だといいながらテントを組み立てる。

組み立て終わって、しばらくすると雨がやみだす。テントの外に出ると、寒いので、テントの中で、

うとうとしたりしたりして、時間をすごす。夕食も簡単に作っていると、雨がまた降り出し、テントの中で

食べることになる。それからは日本酒を飲んだり、まったりしながらテント生活であった。

夜、目を覚ますと、空は星がいっぱい。次の朝の展望を期待したが、朝になると、霧の中であった。

ザラ峠
ガスッタ岩場を歩く

ザラ峠は越中富山の藩主であった佐々成政が厳冬期の立山連峰を越えて

浜松の徳川家康のもとに向かったことで有名である。8日間の往復であったとのこと。

 天正12年(1584)豊臣秀吉は徳川家康と和議を結び、今まで徳川家康側についていた

反秀吉の立場をとっていた佐々成政は、次は自分が攻撃をされると思った。

また、加賀の領主である前田利家や越後の上杉景勝に包囲され、孤立無援となっていた、

家康に頼るしかなく、家康なら説得すれば、反秀吉の立場に立ってくれると思い、

家康に応援頼もうと11月末、雪解けを待つ余裕もなく、ひそかに富山を出発し、弥陀ヶ原・ザラ峠をへて

黒部川をわたり、針ノ木峠もしくは鳩ヶ峰を越えて大町に下り、信州から浜松まで往復したという話である。

しかし説得は失敗に終わったとのこと。こうした歴史も歩いてみて、興味がわき、もっと調べたくなるのである。

獅子岳山頂
雪渓を下りたが、マークがない

五色ヶ原から室堂に至る道はガスだらけで、まったく展望はなかった。

ガスで前が見えなくて、雪渓を下りてしまい、マークを見失い、途中で、

道がわからなくなり、引き返すこともあった。後から来た方がマークのところまで戻って、

踏み跡が上にあることがわかり、雪渓の踏み跡を渡ると、マークが続いていた。

雪渓の踏み跡をわたる
ガスった中の岩場を登る

竜王岳の先の分岐で、まだ分岐とは思わず、右に折れて登山道を下っていくと、一の越方向である。

やはり、浄土山は分岐で左に行く道であることがわかり、室堂は一の越方向からもいけるのだが、

分岐まで引き返して、浄土山経由で、室堂まで下りた

一の越と浄土山の分岐
みくりが池温泉

室堂では、みくりが池温泉で、4日ぶりの湯に浸かり、汗を流した。気持ちよかった。

その後のビールが体にしみるようにおいしかった。ここは、日本一高所の温泉(2410m)がうりである。

地獄谷が近くにあり、硫黄の温泉である。

浄土山

浄土山は登っている間はガスっていたが、室堂に下りたら、ガスがひいてきた。

立山の名水を皆で汲む
信濃大町からあずさに乗る

今回は、テントを担いで、初めて歩いた。重さに慣れていないため、

ばてばて気味であったが、何とか歩くことが出来て、山行の幅が広がったようにも思えた。


途中で出会った花

ニッコウキスゲ
タテヤマリンドウ

チングルマ
ウサギギク
チングルマのワタスゲ

コバイケイソウ
シナノキンバイ

イワオトギリ
ハクサンフウロ

クルマユリ
ヨツバシオガマ

コイワカガミ
ハクサンイチゲ
ミヤマキンバイ

イワギキョウ
タカネシオガマ
タカネヤハズハハコ