山下清展 

2023年7月29日

   
SOMPO美術館  損保ジャパン 

新宿のSOMPO美術館で「山下清展」が開催されていたので、見に行ってきた。
傑作「長岡の花火」も見ることができた。生誕100年を記念する本展では、
代表的な貼絵の作品に加えて、子供時代の鉛筆画や後年の油彩、
陶磁器、ペン画などを展示し、山下清の生涯と画業を紹介していた。
そして旅に持参したリュックや浴衣、所蔵していた画集などの関連資料を間近に
鑑賞することで、49歳で逝去するまで個性的な創作活動を続けた山下清の世界である。

   
 長岡の花火  山下清自画像

朝日新聞の天声人語にこの「裸の大将」として知られる画家、山下清の記述があった。
放浪の際に、画材は持ち歩かなかった。リュックに入れたのは、茶話2個と箸、手ぬぐい
着替え、それに犬にほえられた時の用心の石ころ5個、それがすべてであった。
旅先から戻ってから、記憶を頼りに貼り絵をしたり、絵を描いたりした。
訪れた先の一つに新潟県長岡市がある。1945年8月1日夜の空襲で約1500人が
犠牲になった。「みんなが爆弾なんかつくらないで、きれいな花火ばかりつくっていたら
きっと戦争なんて起きなかったんだな」と語る。素朴の眼で日常の大切さを見抜いていた。
この日は、隅田川の花火大会で、4年ぶりの開催である。柴崎の居酒屋のテレビで見た。
この天声人語の終わりには次のような記述もあった。
夜風に吹かれてビールでも飲みながら、役にも立たない話を友だちたちと
交わそうか。きっとそれこそが、かけがえのない日常である。

   
山下清展  ゴッホのひまわり 

実際、日本各地を自由気ままに旅する生活を好んだ清は、驚異的な記憶力をもち、
スケッチやメモを取らずとも、旅先で見た風景を細部まで正確に思い出すことができた。
山下清が1964年オリンピック東京大会の開会式を描いた作品(《日本、しっかり》
1964(昭和39)年頃、水彩画、東京都蔵)も展示してあった。

   
東郷青児《望郷》  グランマ・モーゼス《さあ、ボートに乗りに行こう》 

3つの作品が撮影許可がおりていた。
・フィンセント・ファン・ゴッホ《ひまわり》
・東郷青児《望郷》
・グランマ・モーゼス《さあ、ボートに乗りに行こう》

   
   

新宿ではエイサー祭りも行われていた。
沖縄で旧盆に先祖の霊を送り出し、家内安全や繁盛を祈る儀式として
行われている「エイサー祭り」。 大小ある太鼓の音に合わせて、男女の手踊りや
三線、地謡、道化役など様々な役が大きな隊列を組んで街の中を踊り廻す。