米沢 
2024年11月24日
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米沢駅 |
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仕事で福島に用があるついでに、米沢まで足を延ばした。
米沢駅で、上杉神社への行き方を聞いた。バスが9時40分に
出るので、乗った方がよいといわれた。
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慰霊の碑 |
「米沢牛の恩人チャールズ・ヘンリー・ダラス」の碑 |
慰霊の碑「ふるさとの父母想い 妻や子の やすらかなれと
祈りつつ平和を願い 散りし魂」
チャールズ・ヘンリー・ダラスは、1842年(天保13)、英国の首都ロンドン市で生まれる。
1862年頃(文久2)、鉱物商として中国大陸に渡り、1865年(慶応元)に初来日した。
明治4年10月、米沢興譲館洋学舎で教鞭をとり、明治8年に任期を終え
横浜の居留地に戻る折り、お土産として米沢の牛を持ち帰ったとされている。
その米沢肉をイギリス人仲間に食べさせたところ、その食味の良さに
驚き大好評であったといわれ、米沢牛が有名となった。
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松岬神社の上杉鷹山坐像 |
上杉謙信公 |
上杉神社は明治4(1871)年、上杉謙信と米沢藩中興の名君
と呼ばれた上杉鷹山(上杉家第10代当主、米沢藩第9代藩主)を
合祀して米沢城址(現在の松が岬(まつがさき)公園)に創建された。
明治35(1902)年、上杉神社では謙信のみを祀られることとなったため、摂社として
松岬神社が新たに建立され鷹山が祀られることになった。その後、松岬神社には
上杉景勝(上杉家第2代当主、米沢藩初代藩主)、直江兼続ほか3名が合祀された。
観光案内所のボランティアガイドをお願いした。林さんという方である。
非常に詳しく説明をしていただいた。
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「天地人」上杉景勝と直江兼続の主従の像 |
「なぜば成る なさねば成らぬ 何事も」の言葉で知られる上杉鷹山が祭神として祀られている「松岬神社」
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上杉鷹山公 |
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上杉神社 正面から拝殿 |
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吉良上野介の正室は、米沢藩主の娘であり、赤穂浪士が実際に討ち入りの
時には、吉良上野介の実子(上杉綱憲)が上杉家に養子入りして藩主となっていた。
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上杉神社 |
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米沢城本丸跡に建立された上杉神社は1871年の創建で、米沢藩祖・上杉謙信を祀っている。
1578年に謙信が亡くなって以降、謙信は真言宗寺院で祀られていたが、
明治時代になって神仏分離が進められたのを機に神式に改めて「上杉神社」が創建された。
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謙信公御堂跡(米沢城本丸南東) |
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直江兼続公の兜に使われた「愛」の前立(左)
上杉景勝公の兜に使われた前立(右) |
上杉謙信公の兜に使われた前立 後ろの毘の紋章 |
「米沢市上杉博物館」には、数千に及ぶ上杉氏ゆかりの貴重な品々や国宝が収蔵されている。
展示室は「常設展示室」と「企画展示室」に分かれていて、常設展示室では上杉の
歴史と文化を中心とした「江戸時代の置賜・米沢」を主軸に構成されている。
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米沢市立上杉博物館入口 |
館内のみどころは、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」。京の都の日常風景を描いた
この屏風は、織田信長から上杉謙信へ送られたものと伝えられている。
約2,500人もの人物が身分を問わず描かれ、さらには動物や植物、名所や祭りなど
当時の京都の様子を伺い知ることができる。普段はレプリカの展示。
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米沢ラーメン |
「伝国の杜(でんこくのもり)」という名称は、かつての米沢藩主「上杉鷹山(ようざん)」が、
藩主の心得として残した「伝国之辞(でんこくのじ)」に由来している。
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米沢ラーメン「上花輪」 |
紅葉 |
米沢ラーメンが食べたくて、上杉神社(米沢城址)の側にある店に入ってみた。
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上杉景勝公 |
松岬神社 (まつがさきじんじゃ) |
明治35年、上杉神社に上杉謙信とともに祀られていた上杉鷹山が松岬神社に分祀された。
1923年(大正12)に米沢藩初代藩主である景勝公を合祀、1938年(昭和13)には景勝公の
重臣である直江兼続と、鷹山公の師・細井平洲先生、鷹山公の藩政改革を
補佐した功臣・竹俣当綱、莅戸善政を合祀し、祭神は六柱となった。
上杉鷹山 宝暦元年(1751)〜文政5年(1822) |
米沢藩9代藩主。高鍋藩主秋月種美の次男として誕生(母方の祖母が4代藩主綱憲公の娘)。宝暦10年(1760)8代藩主重定公の養子に迎えられ、明和4年(1767)17歳で米沢藩15万石の藩主となる。
窮乏甚だしかった米沢藩を、大倹約令・産業開発・藩校興譲館の創立・政務の革新などで再建し、江戸時代随一の名君として知られる。35歳で隠居後も政務を補佐し、米沢織・米沢鯉・深山和紙など鷹山公の興した産業は現在に伝承されている
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菱門橋 |
菱門橋は本丸南面の堀に架かる橋。藩主御殿の出入り口で警戒は厳重であったとのこと。
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春日神社 |
春日神社は、上杉鷹山公が学問・武芸に励むことや、行動や
賞罰に不正の無いこと等を誓った誓詞を奉納した神社。
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春日神社の由来 |
虹がかかる |
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東光の酒造 |
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東光の酒造は慶長2(1597)年に創業。上杉家の御用達酒屋を務めた小嶋総本店が
直営する資料館。土蔵の一部を公開しており、当時の造り酒屋の様子を知ることができる。
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大きな樽が並んでいる |
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室床 |
仕込み蔵は実際に酒造りを行っていた土蔵を改修したもので、床面積140坪の
大きな土蔵は、まるで昔の酒造りの現場に足を踏み入れたような趣を感じさせる。
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大神神社御分社 |
東光の酒造入り口 |
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住之江橋のブロンズ像 |
米沢駅 |
沢市出身の彫刻家・桜井祐一氏(1914〜1981年)の晩年の作品で、「5月の女(1981年)」
「腰かけた裸婦(1978年)」「もの想うひと(1972年)」「若い女(1969年)」の4体がある。
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「活力と創造と愛の21世紀都市・米沢をめざして」 |
「活力と創造と愛の21世紀都市・米沢をめざして」 |
米沢市都市計画課によると、1992(平成4)年の駅舎改修に合わせ、
駅前広場の整備として設置されたもの、とのこと。
銘板によると、空に向かって伸びていくアーチは、米沢織物の柔らかさと
笹野一刀彫として全国的に有名な民芸品のお鷹ぽっぽを表現しているそうである。
アーチの上や側面には子どもや鳥、犬、猫などの像21体が生き生きと表現されている。
この21体の像は、21世紀を意味しているのだそうである。

米沢牛君